権利の調整
東京郊外のベッドタウンの開発をめぐる公聴会をのぞいた。丘の上に昔から住んでいる人たちが、麓で始まる開発造成に対する異議申し立ての公聴会であった。生で見るのは初めてだったので、一つ一つがとても興味深かった。
公聴会というのはhearingの和訳だろう。住民は開発にともなう既得権の喪失を訴えているのだが、それはどうやら行政や業者を動かすというほどにはならないものらしい。あくまで参考意見を聞き置くということだ。
いろいろ問題点を公述人と呼ばれる住民が申し立てていたが、ちょっと面白いことを知った。
当該地は丘の林がある場所。里山つくりを目指す行政もそれは念頭において開発の許可を出しているというのだが、その線引きが微妙なのだ。
宅地化によって林が切り倒されるのを、住民は危惧していて、現在ある樹木を移植してでも保存すべきだと主張する。
それに対して、業者は行政の指導を受けて、条例どおり、代替の公園を作ってそこに新たに植林すると返答する。
住民はそれでは緑が縮小するだけで、今ある樹木を生かして従来の緑の量を確保すべきではないかと迫るが、業者は(行政は直接返答していないが、おそらく内心はそう思っているだろうと推測する)、きちんと法律に基ずいてやっているのでと、変更するつもりはないことを、暗に示す。
造成の安全基準でも見解が分かれた。震度6に耐えられる耐震構造、時間雨量50ミリを上限とした水害対策を立てていると、業者は主張する。住民はその値は現実に即していないと反発した。阪神大震災も中越沖地震もこのところ起きている地震は震度6・5に達しているではないかとせまる。雨量も温暖化で増加しており50ミリなど危険値とはいえないというのだ。もっと数値を上げるべきと、開発の安全性を住民は求める。
だが、開発業者側は、これは法律、条令に決められていることを粛々と守ってやっているから、それ以上でもなければそれ以下でもないと突っぱねていた。
法治主義ということがこの公聴会の天蓋を覆っているのだと私は感じた。ソクラテスが重視した「法の支配」ということか。
参加した住民は予想以上に多かった。出席している人の顔ぶれはどうやら私と同じ団塊世代以上と見た。途中で異議を申し立ての野次が飛ぶところなど、昔学園で覚えた技術かなと少し半畳を入れてみたくなった。というのは、あまり悲壮感はなくみな生き生きしていたから。
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