再訪のこころ
詩人、清岡卓行は一昨年80歳で亡くなった。中年を過ぎて小説を書き始めたから、芥川賞をもらった『アカシアの大連』はいくつのときの作品だろうか。
まあ、今の私と変わらない年齢の時期であったろうか。この作品は、戦前、清岡の一家が植民者として大連に住んだエピソードを懐かしむようにして記されたものだ。
その清岡のエッセー集『郊外の小さな駅』(1996)を手にした。「幼なじみの木」という小さな話に惹かれた。
1982年、清岡は60歳になって34年ぶりに大連を再訪する。そしてかつて20年以上住んだ”我が家”を再訪する。そこで幼い頃に鉢植えから移した銀杏の木が30メートル以上にまで成長しているのを見て、感慨をもつ。
《その家の庭で今なお逞しく生長しているだろう銀杏の木は、私にとってなんと呼べばいい存在だろうか。》
このため息のような文章に今の私は共感をもつ。清岡の過去への思いは、このところ私が感じるものに近い。
昨日、目黒図書館にて、「奥の細道」を読んで胸に響くようなつ行(くだり)を見つけた。越前福井の場面である。
《福井(ふくい)は三里計ばかりなれば、 夕飯(ゆうげ)したゝめて出づるに、 たそかれの路たどたどし。
爰(ここ)に等栽と云ふ古き隠士有(あ)り。 いづれの年にか、江戸に来たりて予を尋(たづ)ぬ。 遙(はるか)十とせ余りなり。》
晩飯を食べた後、夕暮れの道を福井に向かう芭蕉。10年も昔、江戸で会ったことのなる等栽という俳人を思い出し、彼を捜しに行くのだ。
《いかに老いさらぼひて有るにや、 将(はた)死にけるにやと人に尋侍(たづねはべれ)ば、 いまだ存命して、そこそこと教おしゆ。》
あれから時が流れたのだ。どんなに年老いたことだろう。ひょっとすると死んでしまったかもしれない。でも人に尋ねたらまだ生きているということを知った。
《市中ひそかに引入りて、あやしの小家に、 夕貌(ゆうがお)・へちまのはえかゝりて、 鶏頭・はゝ木ゞに戸ぼそをかくす。 さては、此のうちにこそと門をたたけば、 侘びしげなる女の出いでて、 「いづくよりわたり給ふ道心(どうしん)の御坊にや。 あるじは此のあたり何がしと云いふものゝ方に行きぬ。 もし用あらば尋(たづね)給へ」といふ。 かれが妻なるべしとしらる。》
そうやって探していくと、夕顔が咲いてへちまがぶら下がっているあばら家があって、そこに彼の妻がいて、等栽は留守だということが知れる。
このあばら家を訪れる心地は「源氏物語」の夕顔を訪ねる風情に似ていると、芭蕉は面白がるのだ。やがて芭蕉は等栽と再会し喜ぶ。二人はこの後、名月を見に、つるが湊まで出かけてゆくのだ。
この昔の知人をわざわざ探し当てていく芭蕉の思いが、今の私にひどく響く。たしか、金沢ではそうやって探した人が亡くなっていて芭蕉は悲嘆にくれたこともあったはず。
芭蕉も年をとって気が弱り、こういう「尋ね人の時間」を大切に感じるようになったのかしらむ。
古い川柳がある。
「ふるさとへ廻る六部(巡礼)は気の弱り」
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