映画人
映画監督、市川崑氏が亡くなった。92歳というから映画人としてはずいぶんの長命である。新藤兼人氏が96歳になろうとすると聞くと、モンスターと言いたくなるが、それに匹敵する市川の長寿だった。
早くから名作を撮っているが、黒沢や小津ほど大きな評価がなかった。物語より映像の絵作りに凝るということで映像派と見られていた。この人は製作の数においても抜きん出ている。はっきり言って玉石混交だった。「弟」のような佳作もあれば「黒い十人の女」のようなスタイリッシュなだけの作品もあった。
でも、この人は映画が本当に好きだっただろうと思う。
「細雪」にしても「木枯らし紋次郎」にしても、実に映像美に熱心だ。
でも、この人の過去の作品をテレビで一部使用するとなると、うるさい御仁であった。
くわえタバコで飄々としているあの風貌と違って、引用する箇所の厳密なコンテと、使用する母体の番組の内容を事前に詳しく知らせないと許可を出さないという厳格さをもっていた。そういうことは意外に知られていない。
「東京オリンピック」の映画は、私も記憶している。オリンピックの翌年、昭和40年に学校から引率されて見たことがある。記録映画というより芸術映画だという気がした。
映像のマジシャン、市川崑の真骨頂だったのだろう。市川は映画作りが好きだったのだろう。
今夜、ベルリン映画祭に招かれた知人と少し話しをした。映画祭で知り合ったポーランド人スタッフのことを教えてもらった。その人はユダヤ人で、腕に刺青をもっていたという。ユダヤ人としての印をナチスによって付けられた経験をもっている人だ。かつてベルゲンベルゼン収容所にいたことがある。数少ない生存者だ。彼は、先年、スピルバーグに面接したとき、5分の面会時間だったが、彼のベルゲンベルゼン収容所のことを語ったら5時間に及んだという経験をもつ人物だ。スピルバーグは「シンドラーのリスト」を制作しようとしていた頃だろう。その彼が、私の知人に語った言葉が私に響く。
「アンネ・フランクの映画を作りたい。これを作らないかぎり死ねない。」あのアンネはベルゲンベルゼンで命を落としているのだ。
私も作りたい。今、アンネという少女のことをドキュメンタリーにしたいという気がしてならないのだ。
そのポーランド人のことを教えてほしいと、知人に今夜私は頼んだ。
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