図書室から、久保田万太郎の『心残りの記』を借り出して読んだ。
一人息子とのことを書いている。
息子のことを名前で呼ばずに、「ちょっと」という感じで過ごしたと、淋しい親子だったと書いている。否、息子は二人はテレ性であったからだと述べていて、淋しいのではないと書いている。
息子が物心がついてから二人が交わした会話は、一編の多幕物戯曲にも及ばないそうだ。
息子の母は,彼が中学生のときに亡くなり、その後父は再婚したりして、人生は流れた。
そして37歳の若さで息子は父よりも早く他界する。
久保万の晩年は苦しい日々が続くが、その苦難のなかに、この沈黙の息子のこともあったのかもしれない。垣間見せる人生模様をふまえて、あらためて読むと味わい深い、久保万の句。
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり
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