定年再出発 |
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連れて逃げてよ
昨夜、「たけしの誰でもピカソ」の”ちあきなおみ”を見た。 伝説の「ねえ、あんた」の歌唱と映像がスクープ扱いで紹介されたが、たしかに凄かった。 沁みるような歌声、劇的な演ずる歌唱、聞く者の心をとらえずにいられないものだった。 ちあきの歌は薄幸な水商売の女の境遇を歌ったものが多い。「紅とんぼ」にしても「ねえ、あんた」も私の好きな「花吹雪」にしても。 「矢切の渡し」は、親の心にそむいて江戸を離れて北へ向かう男と女の物語。二人には添えない事情があった。それでもいっしょになりたい。女は男に切羽つまって懇願する、「連れて逃げてよ」男も心意気を示して「ついておいでよ」と答える。冷たい雨の降る夕暮の矢切の小さな渡し場。小さな舟に隠れるように乗って、何が待つか分からない未知に向かう。 ちあきなおみはこの男と女の不安と喜び、戸惑いと決意が交錯する物語を切々と歌い上げている。 彼女のドラマティックな歌唱力によるものとしても、歌の内容にちあきなおみその人の、人生ともファンは重ねたくなる。 ちあきは俳優郷鍈治と出会ったのは、「矢切の渡し」をレコーディングした頃と思われる。 そして、78年にその郷と夫婦の契りを交わした。二世を誓ったのだ。 郷は役者を降りて、ちあきのプロデューサーのようなマネージャーのような存在になってゆく。郷はそれほどちあきに打ち込んだのだろう。ちあきも郷をすっかりたよる。この結びつきは尋常ではないことは誰の目にもわかった。 ところで、少女時代、転校を繰り返したちあきは幸せの薄い女だった。ちあきは前座歌手をやっていた頃、可愛がってくれた役者がいたそうな。その人は若くして急死したと伝えられる。ちあきは人の死におびえるようになった。不幸には敏感になった。だから、郷との関係をひときわ大切にしたのだろう。 郷といっしょになってからのちあきは、以前にもまして歌がうまくなった。さまざまなジャンルにも挑んでゆく。演歌からジャズ、シャンソン、はてはポルトガルのファドまで、ちあきの歌声は凄みをましてゆく。シャンソンのような物語性のある歌を、船村徹はドラマティック歌謡と呼んだ。「喝采」にしろ「ねえ、あんた」にしても、彼女の歌は聞くものにドラマを幻視させた。 結婚して14年目に悲劇が訪れた。最愛の夫が92年に早世する。ちあきは自分を見失った。有名な逸話がある。郷の棺を閉じるとき、ちあきが「私も一緒に焼いて」と泣きさけんだ。そして、夫が死んでからいっさいの活動を停止したちあきなおみーー。 その人生は彼女の歌う世界とあまりに近い。名曲「喝采」にしても、後から見れば、彼女の夫を失った心境と重なる。 この歌声を聞いていて思い出さずにいられない人たちがある。 その夫婦は渋谷で小さな酒場をやっていたが、どこか理由ありを感じさせた二人だった。親父は寡黙で厨房にたち、女房はせっせと客を世話していた。店は繁盛した。 どうやら亭主は以前結婚していて子供もいたらしい。それと別れて今の女房といっしょになったようだ。二人に子はなかった。睦まじく、休みは東京近郊をよく旅していた。親父は歴史が好きだったから古跡でもめぐっていたらしい。 親父が70を前にして、二人は店をたたんで町を去った。 房総の小さな町で、大工普請の数奇屋に住んで余生を送っていると、噂を聞いた。だが、その平穏は2年も続かなかった。 親父に癌が発見され。北総の大学病院に通うようになったのだ。住まいもその大学に近いところへ移した。という話を聞かされて1年も経たないかのうちに、二人の消息はふっつりと消えた。親父が死んだらしい。女将は悲しみに沈んだ。いっさいの連絡を断って、消えたのだ。 まるで、ちあきなおみと同じではないだろうか。 昨夜、ちあきの歌を聞きながら、あの夫婦のことをずっと思いつづけた。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
by yamato-y
| 2008-01-26 21:54
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