股火鉢
沈丁花の実が赤く膨らんでいた。今朝、ツヴァイク道を降りながら天空からこぼれてくる冬の陽を手のひらに受けて駅に向かった。
地球温暖化などとおおげさなことではないが、たしかに冬は昔より暖かくなっている。雪は降るが霜はない。大寒の頃ともなれば霜柱が通学の道に立ったものだ。アスファルトで土が消えたにしろ霜を踏み砕くようなことは減った。というか、ここ数年ない。
暖房も昔に比べて便利になり、部屋の気密性も高くなった。隙間風もなくなったしセントラルヒーティングで部屋もすぐ暖まる。冬がしのぎよくなったといえばそうだが、一月生まれの私としては物足りない。歯をくいしばって寒さに耐えるほうが好きだ。
かつては部屋の暖房といえば火鉢しかなかった。山代温泉郷で住職を営む友人の寺に、冬に泊まったことがある。大きな庫裏に火鉢が一つの部屋で酒を呑んだ。外套を脱がずの宴会となった。あまりの寒さに一人の友は股火鉢をした。いまどき、こんな言葉は分かるまい。火鉢にまたがって暖をとることだ。行儀は悪いが瞬間的に暖をとれる。そのとき放歌した戯れ歌を思い出したから書き留めておく。
♪この部屋に涙なんかあるものか 笑って歌おう、我が友よ
楽しさは酒の中から湧いてくる ドントドントドント 湧いてくる
なんでも、戦前の四高生がコンパのときに放吟した歌だそうだ。私はお茶の師匠から教えてもらった。
『俳句の評釈』(昭和21年刊)を読んだ。そこで水原秋桜子が推薦している冬の句がよかった。
押し撫て(おしなでて)大きく丸(まろ)き火鉢かな 温亭
秋桜子の解釈。
《寒い中を夜ふけて帰ってきた自分をいとしく思って、火鉢に火をおこした。さうして火鉢に身をふせて暖をとった。やうやく身体が温まるにつれて、この自分の独居生活の友である火鉢が、さながら生あるものの如くなつかしかった。》
秋桜子は作者の境遇を独り者と見ている。無人の冬の部屋とは本当に寒々しいものだ。そこですぐ火をおこして、しみじみ火鉢の手すりを撫でまわすものの心ね。今や、ほとんど味わうことのない冬の景ではないだろうか。
北陸の1月は雪が多く、鬱陶しい日が続く。だが、部屋の中は火鉢を囲んで笑う姿があったことが忘れられない。炭火に灰をかけて埋火にしたり、五徳にヤカンをかけて加湿器代わりにしたものだ。
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