人と人のつながりを求めて
今、アメリカ大統領予備選挙が行われている。連日のようにその動静をメディアは伝えるが、私などいまだにアメリカ大統領の選出の仕組みというのが理解できない。理屈では一応分かっているが、なぜあのような州ごとの選挙を経なくてはならないのか、韓国のように一斉に行えばいいではないかと思うが、おそらく2大政党システムや民主主義の構築の仕方がからむことが大きいのだろうというぐらいの推測しか立たない。
ケネディ大統領の頃は、ほとんどアメリカ情報も活字が中心で量的にも現代の数百分の一であったろう。その当時のアメリカ理解からわれわれはどれほど進歩しただろうか。たいしたことはないのではないか。膨大な情報にも関わらず、いや、むしろ量を増大させることによって、ますます分からないという事柄がかなり増えているのではないか。
社会保険、生命保険、医療のことを論ずるとき、国家の福祉機能を小さくしているアメリカでの医療費は日本に比べて格段に高く、低所得者にとっては地獄ですよ、なんて話をよく聞かされた。
「日本では冷たい社会だと思われているアメリカは、実は日本よりもっと温かい」という意見を今朝の朝日新聞で読んだ。「OPINION」欄に登場した「個人尊重の旗を掲げよ」という論文で、筆者はハーバード大のマルガリータ・エステベス・アベ准教授。彼女によれば、アメリカは市場の競争原理だけで動いているのではないという。市場と同じくらいの規模で非営利部門がきちんと機能していて、社会の下支えを行っている。仮に市場で失敗してもそこで人生が終わりというふうにはならない安全網が敷かれている。政府の医療費保障が小さくても、宗教的な慈善団体などがカバーする仕組みがあるというのだ。
それに比べて日本では、地方よりも都市、中小よりも大企業、非正規よりも正規と、自分が良い団体に所属できさえすれば、あとは社会的公正など考えていない。だから経済的に失敗した人たちは居場所がなく自殺に向かうことが多いとエステベス准教授は見ている。
傾聴に値する議論だ。似たようなことを寺島実郎が「脳力のレッスン2」(岩波書店)で、小泉改革を批判して語っている。
「誰かが創り出した繁栄の与件として、『自分だけは割を食わないように』という分配の議論を繰り返している愚に気がつかねばならない。」
このような問題を経済・社会政策の問題としてだけではなく、社会のシステムそのものを草の根で変革していかなくてはならない。賃金格差をなくし女性の就業を促進し、足らない労働力をきちんとしたカタチで受け入れる外国人労働力などの整備ということだと、エステベス准教授は提言していた。
私はそこに個人の孤独感、孤立感を埋めるような非営利部門の充実が必要だということを付け加えたい。
社会的格差、不公正が露出する現代日本では、負け組だけが苦しんでいるのではないだろう。自分だけは負け組に落ちることないように必死で勝ち組の利権にしがみつくような風潮もある。しかし、双方とも内面において、他者とのつながりをもてない、凄まじい孤独地獄にいるのだ。
人と人がつながり、互いに支えあっていけるような「社会的機能」が今、切実に求められていると思う。
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