晩年
昔一緒に仕事をしたKさんが1年前に亡くなっていたことを、最近知った。まだ60代なのでそんなことはないだろうと思い込んでいたから、1年半ほど音信が絶えていてもも気にしなかった。
そのうち、ふらーっと電話してくるだろうと漠然と考えていた。
昔の仕事のことで聞きたいことがあってこの11月に連絡をとったところ、その人は癌で1年前に帰天していた。知ったとき私はちょうど「日本のSF」の番組の繁忙期だったので、奥様にお悔やみを電話で申し上げるにとどまった。
時間が出来たので、高崎までお参りに伺いたいとご家族に告げたら、こんな遠路まで来ていただかなくてもいいと謝絶を受けた。
ご家族から見れば、1年も経っての弔問は面食らうことなのだろう。ただ、最近知った私としては、本当にご恩を受けた人なので、せめて線香の一本でも手向けたいと願ったのだ。
そんなに大事な人Kさんをなぜ放っておいたのか――。
Kさんは63の頃から持病が出て、家で療養することになった。時々電話で近況を伝えることがこの4年ほど多くなった。Kさんは話が長い人で、一度の電話が1時間に及ぶことはしばしばであった。つい、こちらから電話するのが躊躇することとなった。でも、声だけ聞いているとしっかりしているから、まだまだ長生きすると思っていたが、70を待たずに逝ったのだ。
3年前、私が定年をむかえたとき、Kさんは私の身の振り方をずいぶん心配してくれた。番組を作る以外に能がない私を、どこか格好の職場がないかと、Kさんの交友をずいぶん探してくれた。Kさんは技術職だったから、外資系のコンサルタント会社をあたってくれた。そのときは縁がなく有難く辞退したのだが、そのときにかけてもらった情けには感謝していた。この交友は誰も知らない。私とKさんがそれほどの関係で、苦労を分け合った仲だということはおそらくKさんの奥様も知らなかったはずだ。だから、訃報は私に届かなかったのだ。
高恩あるKさんを長く放置したということが、私を苛む。なぜ、今年の賀状が届かなかったことに気づかなかったのか。
2007年というこの年は、私にとってずいぶん大事な人たちが死去した。植木等さんが死んだ。河合隼雄さんが死んだ。山口小夜子さんも死んだ。個人的な友人もいた。福原シスカが亡くなり福原カズオミが後に続いた。
昨夜、旧知のカメラマンと会ったとき、「死」と「生」の漢字の字解きを教えてもらった。
死。その「夕」は人の骨を表す。その「ヒ」はそこに跪いている様を表す。
生。「土」の中から芽生えてくる様。
昨日から、サイードの『晩年のスタイル』を読み始めた。そこに記されていた言葉がたちまち私を射る。人は年を得て必ずしも成熟するとは限らないということ。
あと3週間ほどで、私は60歳になる。来し方を顧みれば暗然とする。
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