紅茶を受け皿で
昼時になると、コンビニエンスストアの前に弁当を買うための列が出来る。若い人たちが弁当を入れた白いビニール袋を提げたりお湯を入れたカップ麺を大事そうに持っていたりする姿を見かける。
最近のコンビニでは電子レンジやお湯を用意して、そういう客の便宜をはかっている。昔と違って冷たい弁当じゃなく暖かいごはんや湯気の立つ麺を食すことが出来るのだ。3~500円ほどの昼食代となる。
渋谷のオフィス街などで昼食を摂ろうと思うと、最低700円はかかる。コーヒー代まで入れると1000円になる。時には1500円ほどかかる。若い人にとっては馬鹿にならない金額だろう。家から弁当を持ってくるかコンビニ弁当にするかの選択となる。
韓国の大統領選挙で、争点は格差の解消だというが、決して対岸のことではない。日本でも裕福と貧乏は混在している。一方でコンビニ弁当で他方で三ツ星レストランという歪な構造がある。
イギリスのビクトリア朝時代も貧富の差がひどかった。ディケンズの小説に出てくるような世界だ。ブルジョアたちと違って労働者は朝から晩まで働いた。食生活も貧しかった。小野二郎の名著『紅茶で受け皿』(晶文社)は当時を描出している。
朝の早い労働者は屋台で紅茶を飲むのが習慣であった。わずかな時間で熱い紅茶を飲むのだ。猫舌が多かったのか、ふうふう吹きながら熱いのを飲むことはなかった。代わりに、カップから紅茶を受け皿にこぼして、それを冷ましてすするのだ。こうしてやれば朝の慌しいティータイムもしのぐことができた。イギリスの労働者階級にとって受け皿というのは飾りでなく実用の品だったのだ。
後世、21世紀初頭の日本社会の風景はと問われたら、コンビニの前でカップ麺をすする若者たちと答えることになるのかもしれない。
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