神楽坂取材
神楽坂にある、嵐山光三郎さんの事務所に行った。檀一雄についての取材である。
本企画の制作会社のプロデューサー、番組メインディレクター、サブディレクター、そして私の4人である。飯田橋の駅で12時半に待ち合わせをして事務所に向かった。アポは1時だったが少しはやめにおとないを入れた。
不良中年の先駆けのような嵐山さんだが、このところ目覚しい著作活動で嵐山さんの名前は至るところで見る。週刊誌2本の連載、毎月のように出る単行本ということで休む間もないほど多忙だ。その人物に1時間のミーティングタイムをもらったのだ、少しでも話をたくさん聞こうと早めに入った。
用件は最後の無頼派作家と呼ばれた檀一雄の残した絵についてである。檀は父が画家だったこともあって、自身絵をよく描いた。数十枚残っているがこれまで公開されたことがない。火宅の人らしく数々の伝説を残した檀は、実はきわめて律儀で健気な人物であったと、晩年の檀を知る嵐山氏は考えていて、その証左がこれらの絵だという説をもっているのだ。
嵐山さんはかつて平凡社の「太陽」の編集長で、檀氏の担当だった。当時、檀担当では一番若い編集者だったので可愛がられて、檀流クッキングや釣りなどを教えてもらった。代わりに、まだ幼かったふみ氏を野球に連れて行ったこともあるのだ。
奇しきことに、同行のメインディレクターは嵐山氏と小学校の頃同級だったという。わずか2年だけ国立の学校で一緒だったが、どちらかが転校して会えないまま50有余年、月日が流れている。ディレクター氏は最初名乗らず、名刺だけ交換した。嵐山氏はそれを見ながら、この名前と同じ同級生が小学校の頃にいたなあと、呟く。ディレクター氏は嬉しそうに笑って、「ぼくですよ」と答える。
嵐山氏はけげんな顔をして、じっと顔を見る。「うーん、あのときのI君?なんだかずいぶん変わったね」とまだ腑に落ちないまま名刺を見る。
この出会いの場面はなかなかよかった。互いに確認してもそれほど大げさにならず、さりげなく久闊を叙しながらビジネスに話をうつしていったのだ。
帰りがけに、氏は旧友を呼び止めて、最新の氏の著作を献呈していた。
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