野晒し
古井由吉の最新作『白暗淵(しろわだ)』を読む。2006年4月から2007年6月まで「群像」で書き継がれた短編集だ。その中から「朝の男」と「野晒し」の2編を読む。
古井がモデルらしい老年の男の視点で描かれた作品は、現在の老境と敗戦直後の状況が入り混じる物語だ。「朝の男」は昭和20年5月24日に襲った空襲の翌朝に廃墟を一人だけ歩いていた男を見たという少年の記憶がテーマだ。すべてが破壊された瓦礫の原を偵察しているかのように歩いていく男のことが、60年を経て主人公によみがえる。
「野晒し」は同名の落語を寄席で聞いた主人公が、身の回りで起きた老女の死と野晒しの女幽霊と重ねて描いた作品だ。いずれも死のにおいがたちこめた作品だ。
落語の野晒し。
長屋に住む八五郎は隣家を訪ねてきたきれいな女のことを、翌朝聞く。隣家はつりが好きな浪人で、向島へ釣りに行ったときに見つけた人骨に酒を注ぎ回向してやったところ、女の骨が礼に来たのだと話してくれた。 それを聞いた八はさっそく釣に出かけて骨を見つけて回向する。その夜期待して待っていると、現れたのはいい女でなく幇間(たいこもち)が現れるという人情話。野晒しとは行き倒れの遺体のことで、江戸時代にはそのまま放置されて白骨化することがよくあったのだろうかしらむ。芭蕉も句にするほどだから。
野晒しを心に風のしむ身かな
古井の「野晒し」では、小学生だった頃ラジオでその落語をよく聞いていて、母親が「ぉ骨がわらいますよ」とたしなめたことなどが思い出されてくる。敗戦後のもののない飢餓の時期、街角には行き倒れの姿を目にすることもあった。
昨夜遅く、斉藤寅次郎監督の「東京5人男」を見た。古川ロッパやエンタツあちゃこが出演する昭和20年の映画だ。終戦からわずか3月で上映されたその映画には、廃墟の東京が記録されている。劇映画だがそのままドキュメンタリーにもなっている。廃墟の中を都電が走り、水道管から水がちょろちょろこぼれている。俳優の石浜朗によれば、空襲の翌朝には街角に遺体が放置されていたという。まさに野晒しだ。
先日、渋谷駅前の交差点で不思議な光景を見た。ツタヤの前の地下入り口のそばでホームレスがまっすぐ背を伸ばして寝ているのだ。まるで遺体のようだ。そこは陽だまりになっているので寝ていたのかもしれないが、私には突然「野晒し」という言葉が頭に浮かんだ。
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