ぬけられます
かつて、玉の井には「ぬけられます」という大きな看板があがっていたそうな。永井荷風の文にも滝田ゆうの漫画にも出てくる。玉の井という名前は通称であって、昔は寺島町といった。玉の井はそこの「単に春をひさぐだけの赤線地帯」(滝田ゆう)を指す。遊客を呼び込むための文言だったのだ。
荷風は『濹東綺譚』を書こうと思って、昭和11年の秋ごろからこの玉の井に出入りするようになった。その頃の流行歌に「忘れちゃいやよ」というのがあって、退廃的だということでレコードが発禁になっている。
♪月が鏡であったなら 恋しあなたの面影を 夜毎うつして見ようもの
こんな気持ちでいるわたし ねえ忘れちゃいやよ 忘れないでね
この11年に2・26事件が起こっている。翌年には盧溝橋事件が起きて日中戦争が始まるという時代だということ覚えておかなくてはなるまい。荷風のこの反時代的なやつした生き方が最近ちょっと気になる。
戦後、荷風は浅草の常盤座あたりに出没して踊り子たちに囲まれていたというエピソードがある。ロック座では舞台の初日に通行人の役で出演までしている。これは、来春に制作を予定している「大衆芸能・浅草の灯」を構想するうえでも見逃しがたい。
荷風は深川や柳橋の江戸情緒の名残をもとめて徘徊し、はては玉の井にまで出向いた。荷風が大田南畝や成島柳北にあこがれてそうしたとして、あの安岡章太郎は荷風に憧れて若い頃下町に住もうとしたことがあると聞くと、私の好奇心がむくむく起きてくる。
といってもせんかたない。江戸の名残が消えてゆくと惜しむ荷風の時代はまだよかった。安岡がさ迷っていた頃も辛うじて残っていただろう。今は見る影もないほど変わってしまった。荷風の偏奇館のあった麻布市兵衛町は現在のオークラあたりがそうだというが、よすがは何もない。東京五輪、バブル、2000年以降の開発で景色も町もまったく違うものになった。
最近、ちょくちょく高輪から泉岳寺あたりを散歩する。思いがけない路地があるのだ。先日は古井戸まで見つけた。でもそういう路地はぬけられない。だから車も通らず散歩としては具合がいい。白金にある東大病院の一角も昔ぶりだ。話に聞く避病院のおもかげを、私などは見てしまうのだ。いや、見たいというのが本音かもしれない。
ところで、『濹東綺譚』は新聞小説だ。東京朝日新聞で連載されたが、そのときの木村荘八の絵がすばらしい。
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