科学者が夢見ること
東大の物性研50年記念フォーラムは面白かった。最先端の科学者の「放談」だが、これからの地球を憂い人類を思い、熱い議論が繰り広げられた。心に残った言葉をメモしておこう。
今の小学4年あたりから大学のジュニアくらいまでの日本の若者は、外国に比して冷めている、というかしらけきっている、ということをかなり深刻に科学者たちは受け止めている。その原因の一つは大人が夢見ていないことであり、科学は解決されることが望まれている事柄に立ち向かってはいないのではないかと自問していた。
1543年、コペルニクスが地動説を説いた本を刊行したとき、その部数はわずか600だった。ヨーロッパの知識人の規模がそれぐらいだったのだ。それでも、その影響は世界的歴史的に広がっていったという事実をどう受け止めるか。今は日本の大学生だけで250万いる。ついでに言えば、紀元0年のとき世界の人口は3500万。1950年で25億。2007年で61億いるという。
過日、東大130年の記念講演で、大江健三郎が語った言葉が科学者たちの心を掴んでいる。
「言語は、どんな言語であれ普遍的かつ個性的である。」個別か普遍かではなく、個別かつ普遍という道筋があるということを教えられたと、科学者はいう。
科学は若者に科学の地図を指し示すべきだ。何が分からないのか、何が必要なのか、ということを、科学は具体的に語らなくてはいけないという声があった。例えば、燃料電池をさらに進展させるにはすぐれた触媒が必要、その開発が焦眉だとか、エアコンの性能を上げるにはいい磁石が必要とされるとか、具体的な科学マップが今求められていると、科学者はいう。そういう意味で、温暖化とか環境異変という抽象でなく、地球の光合成が限界に達しつつある、という具合に語るべきという。
科学者の役割として、既知を未知にすることだという。未知を既知にするということではない。一つのことが分かれば十の分からないことが出てくるということ。そのことを社会に伝える「表現」を科学者の側から考えなくてはならないと、茂木健一郎も中村桂子も語ったことが印象に残った。
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