富士の影
山高きゆえに尊からず、というが、山は高いから尊いと富士山を見ていて思う。
今日の富士の美しさといったらない。周りにさえぎるものをもたず、富士は立体でなく線としてそこだけ浮き上がっている。気高い。
精気集まる富士の峰、高き理想の光映ゆる
ここに無限の情けあり ここに無限の理想あり
と少年の頃に覚えた歌のような感動ではない。どちらかと言えば、松竹映画のタイトルバックに使われる富士山のように、誰が見ても美しいという思いがある。
大手の映画会社のタイトルバックはかつては嫌いだった。「一富士二鷹三茄子」のように月並みだと軽蔑していたが、近年変わってきた。松竹の富士、東映の岩場の怒涛、東宝の五色のキラキラ。日活、大映は東宝と同系だったはず。東映の岩場は越前海岸で撮影したものと知ったときから贔屓にしていたが、近年松竹の富士も悪くないなあと思うようになった。
「銀座百点」で嵐山光三郎が面白いことを書いていた。文春の半藤一利が調べたという富士山の影のことだ。
三千mを越える富士山の影が銀座4丁目に届くことがあるかということを、半藤は友人と賭けをして調べたことがある。そのとき、何と年に2回影が届くことが分かったという。
この話は感動する。富士の高さはかくまで偉大なのだ。半藤説が正しければ、50キロも手前にある大磯などは富士の影がしょっちゅう訪れることになる。何かわくわくする。
駿河、甲州、信州、越後と並ぶラインでいけば、富士の影は越後に及ぶのか、もっと先の佐渡まで行くのだろうか。
今朝、敦賀を出て長浜に向かうあたりで伊吹山を見たときも、荘厳な高さに心奪われたが、富士となるともはや別格だ。
本日見た富士の高嶺は白銀に輝いていた。
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