
碧空
ふるさとへ帰って、母と話すことなどない。あるとすれば昔の思い出ばかり。
息子というのは可愛げのないもので、母がはしゃいで話すと白けてぬか返事ばかり。
昔の話をしたとて仕方が無いとテレビばかり見ている。
一人で散歩する。刈り入れの終わった田んぼが白茶けて広がっている。空を仰いだ。青空だ。雲があるから余計に青さが目に沁みる。
タンゴの「碧空」のメロディの一節を思う。アルフレッド・ハウゼの楽団だったのじゃないかな、あのとき流れていたレコードの演奏は。
金沢の橋場町に「橋」という純喫茶があった。地下1階の大きな店内だった。紺の制服を着たウェートレスが3人ほどいた。細長い店内で4人がけの席が縦に並んでいた。酸味のきいたコーヒーは一杯150円だったと思う。その一杯で3時間ほどねばった。友達と何を話したか記憶がないがとりとめもないことをしゃべっていたと思う。ときどきお冷やを頼んでそのときだけしゃべるのを止めて、音楽に耳を傾けた。そこで流れていたのが「碧空」だ。高い空に冷たい風が吹き抜けるような物悲しいメロディだった。
家にもどり帰省の車中から読み始めたハンナ・アーレントの伝記を手にとる。
ベンヤミンの死に触れた一節に立ち止まる。
1940年、ナチの魔の手を逃れて亡命するためフランスを出国しようとしたところで、ベンヤミンはピレネー山中で逮捕される。前途がないことを知ってベンヤミンはその夜自殺した。彼と交流があったアーレント夫妻はその前に彼から大事な草稿を預かっていた。「歴史哲学テーゼ」である。マルクス主義への共感の後、史的唯物論に対する拒絶を表現したものと伝記作者は記している。えっ。ベンヤミンが最終的に社会主義に幻滅していたことになるのか。迂闊にも(おおいに迂闊)難解なベンヤミンは何度読んでも理解が進まず、印象として反体制、レジスタンスの人というイメージがあったので、社会主義、共産主義の破綻を彼が記しているとは思わなかったのだ。
たしか、この「歴史哲学テーゼ」も20年前に読むには読んだがさっぱり分からなかった。師匠のクボカクの書棚でその本を目にしたので読んだという情けない読書動機だったから浅い読みしかできなかったのだ。家にもどったら晶文社の本を探そう。内田樹によれば読みは人生の成熟とともに深くなるという。そこに期待してみるか。
こよなく晴れた青空を見ているとベンヤミンを思う。白洲正子によれば、感傷と深い悲しみは違うという。青空のベンヤミンは感傷だ。それがなぜ悪いと開き直る。「ベンヤミンの鞄」という本を読んだときからピレネーの宿で自殺するその一夜を映像化したいという思いが生まれた。その思いの根っこはおそらく感傷だと思う。
ふるさとで今話題になっていたのは、12月に上演される「熊谷ホテル」という芝居だ。戦前、敦賀の大島町にあった国際ホテル、熊谷ホテル。昭和20年の空襲で消えたホテルである。昭和初期のそこでの人間模様が描かれる。そのホテルにはユダヤ人のビザで有名な杉原千畝も関わったという。どうやら亡命ユダヤ人が敦賀上陸した顛末などを背景にした演劇らしい。
アーレントは九死に一生を得てアメリカ亡命。ベンヤミンは失敗して自殺。ツヴァイクは半ば成功しつつ自殺。日本へ上陸したユダヤ人はほとんどがアメリカに亡命。アドルノは、ホルクハイマーは、・・・

敦賀の海。遠い波濤を越えてここまで来たユダヤ人たちがいたのだ。
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