広い荒野にぽつんといるようで
ぐずついた天気が続いているが、冬の初めに降る雨は嫌いじゃない。シベリア降しの寒気を少しふくんだ冷たい雨が町を拭き清めてくれる気がするのだ。
「続3丁目の夕日」を見ていてやっぱり戦後生まれには分からないんだなあと思ったのは鈴木オートの社長(堤真一)が戦友会に行って酔いつぶれるシーンだ。彼のいた部隊はかなりの戦死者を出しているらしい。可愛がった兵も犠牲になったと社長は知っているから戦友会に行く気がしない。だが、家族からおされて出席したところ亡くなったと思われたその兵と再会する。そして、さんざん酔ったあげく家にその人物を連れて来て無事であったことを祝して杯を交わすのであった。
翌朝、その兵は社長の幻であったと知り憮然とする社長。このエピソードはビッグコミックスの原作にもあったから、山崎監督が頓珍漢で描いているわけではない。が、どうも戦争体験者の悲哀が薄い、というか嘘くさいのだ。
同じようなエピソードで作家志望の茶川は母校東大の同窓会に出席しようとするが、同級生の中傷に傷ついて帰って来るというのがある。これもわざとらしいが、芝居自体には納得できる。だが、戦友会の悲しみは雰囲気だけであって実体が捉えられていないと、戦後生まれの私ですら思う。
小津安次郎の「秋刀魚の味」だったか。笠智衆が戦友の加東大介に会ってバーに連れていかれる。そこで加東はいつものやつをかけてと言うと軍艦マーチがかかる。それに会わせて号令をかけ敬礼をする。バーの女給岸田今日子も敬礼をしている。思わず笠も敬礼する、という場面。なんともいえない悲しみがあふれてくる。
亡父も戦友会というといそいそ出かけた。どんな会であったか聞いたこともない。戦地の体験もほとんど語らないまま10年前に死んだ。今、戦争体験者が次々に物故して戦友会もほとんど解散していく。と同時に、その組織によって暗黙に縛られていたことから解放さて、戦争体験がかなり語られるようになったと聞く。
今夏、放送されたシリーズ「兵士の証言」というドキュメントもそういう時代背景があって出来たのかもしれない。すぐれたジャーナリスティックセンスといいたい。
さて、「3丁目の夕日」の元兵士の悲しみの弱さ薄さは何に由来するのだろうか。もし私がメガホンをとっても同じことになるのじゃないか。
酒を飲んで酔っても、ますます冷えてゆく心。余計に奮いたたそうと思って杯を重ねさらに冷え冷えとしてゆく宴会。というようなものではないのだろうか。
私が小学校低学年の頃金ケ崎城址で見た、花見の宴会はそういう凄絶なものがあった。あのときは酔っ払いが怖いとしか思わなかったが、今考えて見ると戦争から帰ってきた大人たちのすさまじいばかりの泥酔だったのだ。こういう光景を目にすることが減ってゆくと、沖縄集団自決記事削除のようなことが起こるのか。
・・冷たい雨が降る朝にひとりで江梨子は死んでしまった、という橋幸夫の歌があったな。
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