期間限定の考え方
嵐の後のもみじ山。秋晴れのもと、穏やかな日差しが森に差し込んでいる。
久しぶりに海に行った。台風のあとの大波が寄せていて、たくさんのサーファーが出ていた。かなり大きな波が来るから、サーファーにとって乗り心地がいいのだろう。気持ちよさそうに長い軌跡を描いてゆく。
相模湾は澄み渡り江ノ島や遠く三浦半島まで見える。沖合いの空にはハングライダーが2機浮かんでいた。
大磯図書館で8冊借りた。そのなかの「炎のスプリンター、人見絹江自伝」をもみじ山の中腹で草わらに腰を落として読みふけった。昔から、この人の短い生涯が気になってしかたがない。
アムステルダム・オリンピックの800メートル決勝の場面が心に残った。まったく経験のない800メートルレースに出場したときのエピソードだ。レース中盤まで8人中6番だったのが、最終コーナーから一気に加速して、前を次々に抜き去り、ついに3位にまで上がる。前を行く選手がふらふらの状態であることを見極めた人見は、それを抜いたと思う瞬間から意識をなくしている。
《私は目がみえなくなった。それから先は、何事も覚えていません。》
どういうことか。実際には人見は走り続けてトップのラトケ夫人とその差2メートルまで詰め寄る死闘を見せてゴールしているのだが、見えていないと人見は書いている。そしてゴールインしたところ、
《誰やら手をとってくれたのを意識しました。審判台を手探りに支えながらフィールドに入った私は、一刻もはやく自分の敷いておいたオレンジ色の毛布と、そこにおいてあるレモン水が欲しくてならないが、目が見えないのでどうしても見つけることが出来ない。やっと見つけ出して、これだ!と思うと、バッタリそのうえに倒れて再び意識を失ってしまいました。》
こんなことがあるのだろうか。まさに死闘を尽くしたのだろう。精魂果てた人見だった。そして、スタンドのマストに日章旗がへんぽんと翻ったとき、人見は人前をはばからず泣いた。「国家の名誉のためにも、また自分の名誉のためにも・・」この愛国心に、私は同意する。
私たちの世代は《愛国心》というものになんとなく胡散臭さを感じてきて、戦前の愛国心といわれると怯むところがあるものだが、このとき人見や織田幹雄、南部忠平が懸命に守ろうとした「愛国心」には素直に引かれるものがある。
一方、沖縄の集団自決をめぐる文部科学省の諮問委員会の、歴史の捉え方を思うと、そういう形での「愛国心」こそいかがなものかとペンディングにしたくなる。
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