取材源秘匿
奈良で起きた医師宅放火殺人事件で、容疑者の少年の鑑定をした医師が供述調書を漏らしたとして逮捕された。
この調書を引用した単行本が先ごろ出版され、そこに情報を提供したという疑いだ。単行本の著者は情報を入手した経路を明らかにしていないが、傍目から見ればその医師から出たとしか思えない状況だ。著者のフリージャーナリストは「取材源は命をさしだしても言えません」と言っているそうだが、その取材源が逮捕された以上、その言はあまりに空しい。
この話はどこから得たのかというニュースソース(取材源)の問題は、表現者にとっていつも大きな課題となる。楽しい話や嬉しい話であればともかく、嫌な話や権力犯罪などを取り扱うときは、取材者、被取材者、周辺関係者、の距離のとり方は難しいものだ。
新聞報道によれば、単行本「僕はパパを殺すことに決めた」は本の装丁といい調書の取り扱いといい、センセーショナルに扱われていて、取材源を消したり隠したりする配慮がきわめて薄いとある。このフリージャーナリストは少年事件の再発を少しでもなくそうと思って立ち上がったという動機だというが本当だろうか。きれいごとでなく、本当は目立ちたかったのじゃないか。その結果、取材させてもらった方を逮捕に追い込んだとすれば、それは没義道ってことじゃない。
第3者としての意見をかっこうよく言うつもりではない。自分がその立場だったらどうするだろうと、この新聞記事を見て考えているのだ。実は、取材をしていて、この事実を世に知らせたら反響があるだろうなあと野心がむらむら起こることはよくあるのだ。
ただし、その情報源が明らかになるとすれば迷惑がかかる、ということで別の情報源を探してウラをとりつつ取材源を秘匿するという高度な戦術が必要とされる。それは手間も暇もかかることなのだ。
取材源秘匿のもっとも有名なエピソードは、ディープスロートだ。あのウォーターゲート事件のときの大統領の陰謀をワシントンポストの記者にリークした人物だ。最近、そのポストの記者はディープスロートの娘からの要請で、その当人を明らかにしたが、元来、その秘匿は地獄までもってゆくつもりだったのだ。少なくとも記者は30年にわたって、取材源を秘匿したのだ。
この秘匿ということはもう一つの危険も生む。つまり、架空の取材源ということも起こりうるのだ。ありもしないことをあるかのようにして取材源について口をつむぐ、という「ヤラセ」起こりうるのだ。その疑いをもたれないために、日日の取材が真実であることを示しておかねばならないのだ。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング