シブヤ・イン・ホリデー
今日も出勤した。例の番組の最終局面だ。とにかく、この作品は複雑な構造をもっている。これまで経験したことがないほど、細かいカットで繋がれている。今夜、ようやく番組のすじが通ったので、最終の編集結果をデータとして確認をとって驚いた。通常の番組の倍のカット数になっていたのだ。道理で苦戦するはずだ。
90分の番組といってもトーク中心のスタイルであれば、通常は2ヶ月半で制作する。これほど手間ひまをかけない。今回は四ヶ月、いや五ヶ月はかかっている。
明らかに、通常の番組の倍以上の労力が加わっている。
私の相棒のOK君の奮闘は感動に値する。骨惜しみせず、一心不乱で仕事をこなしている。今夜も10時半で私はふけたが、彼はまだ深夜までテロップの作成作業を行うであろう。そういう陰日なたのないところは好きだが、なんでも仕事を自分で受けてやろうとするところが気に入らない。そんなに出来るわけはないのに仕事を受ける。結果、多忙となっている。もちろん私が肩代わりしてやル必要もあろう。でも、彼は何でも自分でやろうとしすぎてオーバーワークになっている。と思われる。だが、けっして弱音を吐かずに頑張っているのは感心する。
なのに、11時ごろ、仕事を終えてセンター街を帰ってゆくときに、アホバカの一群に遭遇して、怒鳴りたくなった。「おい、おまえら。この時間に必死で働いている、おまえらと同年の奴がいることが分かるか」
祭日のセンター街には、いわゆる遊び人と呆けた馬鹿な若者ばかり。
本当に、シブヤの今の深夜は最低だ。日本中の馬鹿ばかり集めたといわんばかりの町と化す。同じ若者でも、OK君の粘りに比べて、この愚者の町に酔いつぶれている男と女よ。
本当に、自分の勤務先がなぜ渋谷なんかに来たのだろうか。私が入社した頃は内幸町にあった。いわゆる丸の内に近いところだ。そのままいればよかったのに、オリンピックの後に代々木の選手村近くにビルを建てたのだ。そのころはセンター街なんて場末の盛り場に過ぎなかったのに。
と、2007年10月に書いた。そして、以下のような批判を受けた。
《もちろん、個人のブログに何を書いても構わないだろう。もちろん、制作者の人格と作品の優劣は関係ないだろう。おそらく番組制作の追い込みで頭も身体も疲れているなかで苛立っていたのだろう。自分の元で頑張っている若者が可愛いのは当然だし、おそらくOK君は立派な若者なのだろう。
それでもやはり、街で遊び呆ける市井の若者を見て「偽装請負の仕事で長時間こき使われ、なおかつ将来の見通しもなければ、たまの休みに憂さ晴らしをしたくなるのも無理はないな。NHK(或いはNHKエンプラ)に入社出来たうちのOK君は、頑張れば頑張るだけ未来が開けるのだから、そりゃあやりがいもあるよな」と想像することもなく、何が若者をそうさせているのか社会の背景が気にならない人には、こっちもステレオタイプに「まあ団塊の世代だから無神経なのは仕方ないか。団塊の世代って“我々の頃は遊び方を知っていた”とか“街の雰囲気が良かった”とか“希望に満ちていた”とか根拠のない思い出話が好きだよなあ」と言い返したくなる。そこまでは言わないまでも、身近な若者と見知らぬ若者を比較して片方を腐す感性には、ついていけないものがある。》
本当にそうだ。こんな言い方はないなあ。あのとき、たしかにムシの居所が悪かったのだが、個人のブログ話だが。でも、こんな感情の出し方は幼い。60にもなって幼いというわけにもいかないのに、そんな過ちを犯すのが小生の駄目な部分だ。この記事を削除しようかなとも思ったが、反省の気持ちが今はあるということで、ここに謝罪の意志を示したい。
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