ただ映画で
エドワード・ヤンの「ヤンヤン 夏の思い出」を見た。7歳の少年が見た、一夏の一家の出来事とまとめればそうなる。祖母が意識を失い植物人間になった時点から物語が始まり、夏の終わりをむかえるまで、父は仕事がうまくいかず初恋の女性と台湾から離れて逢引きをし、姉は友達の彼と恋仲になりながらうまくゆかず、母は祖母の病気を気に病んで山にこもり、小学生のヤンヤンもほのかな恋をする、という群像劇のスタイルだ。
映画的には構成がゆるく、映像も中途半端なもので、日本での場面もディテールで勘違いがあったりして、ネットで読んだ観客の声はかならずしもよくない。
でも、私は気にいった。これといった大きなメッセージもないまま、人生のせつなさが「ぼわり」と滲み出ている。物語を構成する小さな物語はくっきりと描かれないまま、次の場面へぼそぼそと転換してゆく、というこの映画はただ映画であるとしか言わない。そこがいい。それでいい。今の私は分かりやすい構成きちんとした描写の番組ばかり制作しているから、到底こんな作品は作れっこない。
エドワード・ヤンは先ごろ亡くなったが、彼の「クーリンチェ殺人事件」を見たときから気になる映画監督だった。
父親が初恋の女と再会して、日本で会って熱海まで旅をするシーンが美しい。夕方の海岸に打ち寄せる波の物憂い悲しみ・・・。この恋の前景として、高校生の長女の初恋があって、そのたたずまいが実にいい。これ見よがしに、カメラが出来事を撮ることはなく、できるだけ現場から遠ざかって、当事者から離れて“見つめている”のがいい。
数日来、多忙に追いまくられていることに自責を感じていたので、この映画を昨夜見つけて、つい深夜まで見入った。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング