カエル
以前、脳出血で倒れたとき、広島時代の仲間がカエルのぬいぐるみを贈ってくれた。
その首(カエルに首があるとは思えないが)にメッセージのチップが付いていた。「フ―ッ苦しかった。でも、これでカエル。」という意味だったと記憶する。そのぬいぐるみは大事に保管してあるので、今手元になく記憶で書いている。
今回は、身体的には異常はなかったが精神的にはキトクだったかもしれない。まあ、キトクは大袈裟だが、かなり追い詰められていた。久しぶりのディレクターはきつい。おまけに難しい主題に取り組んだ。もっと難易度の低い作品にすればいいものを、「日本SFの50年」などという、“近過去”をとりあげたことが、今回の苦戦の最大の理由であろう。
テレビという映像は本来現在形のメディアだ。今を表すのは得意だが、過去というのは苦手だ。遠い過去であれば「ドラマ」という手法もあろうが、近い過去はそれはあまりない。近年、再現という技法を使うことが多いが、今回の番組ではそれを使うことをあえて禁じた。ドキュメント本位でやろうと考えたのだが、これがしんどかった。残された写真と文書ばかりでは番組としての魅力がなくなる。では、どうするか。思案に思案を重ねた。
昨夜、ようやく編集の第一難関を超えた。一応、素材がすべてつながったのだ。これで、番組の見とおしが立ってきた。何が足らないか、何が余計かが見えてくる地点にようやく立ったのだ。やっと自分の領域(つまりこのブログ)にカエルことができた。
久しぶりの中断で心配していただいた方もあった。すんません。余裕をなくしていたもので、緊急の措置をとっていました。
昨日は、山口小夜子さんのお別れの会があったのだが出席は叶わなかった。先輩の俳人Hさんが参加されたので、気持ちを託した。カズオミといい河合さんといい山口さんといい、大事な人とのお別れに立ち会えない淋しさはあるが、まずは「終わりなき日常」を生き延びることしかない。と自分に言い聞かせている。
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