山口小夜子さんの死
取材先から戻ると机上にファックスが届いていた。訃報だ。本文にちらりと山口小夜子という字がみえた。山口さんの事務所からの連絡が入っていた。何と律儀な。山口さんの親族の死まで、私のような仕事関係にまで送ることはないのにと思いつつ、最後まで読んで驚いた。本人が8月14日に死んでいたのだ。
嘘でしょう。1年前に会ったときは微塵も死の影はなかった。私と同年の59歳で死ぬのは早すぎる。事故でもあったのだろうか。訃音の本文には急性肺炎で亡くなり、親族で密葬したとある。
日本を代表する世界的モデルだった。世界の6人のモデルの一人に選ばれるほどの人物だった。70年代の日本を代表する人物だ。私は彼女の「世界わが心の旅・モロッコ」を作ったり、「課外授業」を作ったりしたことがある。打ち合わせや打ち上げで4回ほど食事をしたり酒を呑んだことがある。いつ会っても冷静で理性的な人だった。人を思いやる優しい人だと、私は感じた。すぐファンになった。
横浜、中山手の小学校で「課外授業」を撮影したことが忘れられない。母校の後輩の小学生を相手に3日にわたって授業をし、最後に手作りのファッションショーを開いたのだが、普段の宇宙人のような彼女と違って、隣のきれいなお姉さんといった感じで子供たちに接していた。これまで見たことがない優しく穏やかな小夜子さんだった。
池上の本門寺の境内で彼女のパフォーマンスを見に行ったことがある。月に照らされて雨上がりの石畳で絹をまとって駆けてゆく姿は、この世の人とは思えないほど美しかった。
彼女と会うと話題になったのは、寺山修司のことだ。小夜子さんは寺山の短歌をすらすらと朗読した。暗唱してあるのだ。彼女がつぶやくと言葉が金色の鳥になって舞った。
大工町寺町米町仏町老母買ふ町あらずやつばめよ
新しき仏壇買ひに行きしまま行方不明のおとうとと鳥
寺山の死も40代終わり、小夜子さんの死も50代の終わり。かくして、山口小夜子はレゲンデ(伝説)となった。
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