半村良のスケッチ
半村良が死んでもう5年経つのだ。この人はSFから出発したが、私はこの人の浅草などを舞台にした風俗小説が好きだった。こなれた独特の文章表現にも憧れた。SFの食わず嫌いだった私が、唯一読んで夢中になったのは半村の『石の血脈』だった。日本の裏社会が堅牢に構築されているという伝奇に心を奪われた。
この人の経歴はすごい。東京都立両国高等学校を卒業後、連込み宿の番頭やキャバレーのバーテンなどの職を転々とした。広告代理店に勤務している頃にSFを書いてSFコンテストに応募したことから作家生活が始まるのだ。
《別居、離婚・・・・挫折した私は柏市の先に引っ込んでビリヤードをはじめ、その挫折感を癒すために、見よう見真似で小説をひとつ書き、書き上げた勢いで広告代理店へ飛び込んでしまった。》(神田茶屋始末)
コンテストを主催したSFマガジンの福島編集長は、2席に半村という人物が入賞したものの住所が不定で連絡がつかず困っていた。ある日、福島が社の近くの喫茶店で原稿に手をいれているとき、側に頭の大きな目のぎょろっとした人物が立った。「今度のコンテストの結果はどうなりましたか」と尋ねる男に福島は面倒くさそうに、「あんたは知らないかもしれないが、小松という人と半村という人だ」と答える。「ぼくが半村です」と言って前の座席に座り込んだと、福島はその著『未踏の時代』に書いてある。このくだりがまるでコメディを見るようで、何度読み返しても可笑しい。
それから3年後、日本SF作家クラブが結成されたとき、半村は初代事務局長になっている。そのときの録音が残されている。「広告代理店をやっていていろいろな店も知っていますし、ちょうどコピーの機械もあって、何かと便利な身ですから・・」と世故に長けた挨拶を半村はしている。でも、この事務局長の座は一年足らずで大伴昌司に譲ったようだ。半村自身、この作家クラブの“蜜月時代”とはいくぶん距離を置いたようだ。
違うかもしれないが、疎遠でいた理由は半村が学歴にこだわったのではないかと私は思う。
星新一、東大。小松左京、京大。石川喬司、東大。眉村卓、阪大。光瀬龍、東京教育大、筒井康隆、同志社大。平井和正、中央大。等、大卒のなか、半村の両国高校卒は異色ではあった。学歴というより、大卒のおぼっちゃまの集まりという「サロン」気分と水があわなかったのかもしれない。
石川喬司さんが、半村といっしょに東大の構内を通り抜けていくと喜んだということを話してくれたとき、大人(たいじん)然としている半村の屈折した心を見た気がしたのだ。
NHKの資料映像を探したが、半村の出演した映像は一つしかない。健康番組で、ゴルフをするとき心臓の心拍数が上がるというモデルで登場しているのだ。この映像しか残されていない。5頭身の頭でっかちのゴルフ姿は微笑ましい。
筒井康隆が「半ちゃん」という文章の中で、半村のキテレツなファッションについて書いている。《なんと赤白格子縞のブレザーを着てサングラスをかけ、何しろ小太りで赤ら顔だからどう見てもやくざの親分である。》
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