「冬ソナ」と「時かけ」
筒井康隆のSFジュヴナイル小説、名作の誉れ高い「時をかける少女」。これは1965年に学習雑誌「中学3年コース」で発表された。筒井のちょうど人生の転換点に出た作品だ。この年、彼は結婚し東京へ出てきて本格的にSF作家の道を歩みはじめるのだ。60年代は世間のSFへの偏見はつよく一般文芸誌でも書く場所が少なかった。その中で高校一年コースとか高校時代といった学習雑誌はSF作家にとっては得がたい場であった。筒井もそこで健筆を奮ったのである。
学習雑誌という舞台にふさわしく「時をかける少女」略して時かけの主人公も中学生として設定され、SFの王道であるタイムトラベルを駆使した青春小説だ。筒井の原作は他のドタバタやブラックな表現とちがって、ストレートな純愛を打出していて、私は好きだ。
今回制作しているSFの番組の参考にと思って、昨夜、大林宣彦監督による映画「時をかける少女」を見た。そこで意外な発見をした。ユン監督の「冬のソナタ」は、この映画からかなり影響を受けているのではないかという発見だ。
これまでも、岩井俊二監督の「ラブレター」との共通性はファンの間でも囁かれてはいたが、「時かけ」との類似性というのは寡聞にして私は知らない。
映画の時かけは舞台を尾道にしてある。そこの中学校に通う芳山和子(原田知世)、そして二人のボーイフレンドとの関係が物語の軸になっている。学園ドラマだから通学風景が冒頭から登場するが、この学生服姿を見たときから、無意識で何かと似ていると私は感じていた。
男子二人が学校の隅にあるゴミ焼却場で対話するシーンを目にしたとき、「冬のソナタ」のチュンサンとユジンのゴミ焼却場の作りと同じではないかと思いはじめた。芝居が似ているわけではないし、画の作り方が似ているわけではないが、そこに流れる雰囲気が同じだと感じた。
そして、朝の登校風景で、すっかり私はこの映画から、ユン監督は「冬ソナ」のイメージを作るのにかなり参考にしていると確信した。「冬ソナ」の冒頭は遅刻しそうなユジンが正面奥の石段を降りてカメラに向かって走ってくる。時かけではこれと同じ撮り方の登校シーンがあるのだ。坂の町尾道だから、石段から駆け下りてくる必然性がある場面だ。制作の年次が時かけのほうが先だから、これはユン監督が真似をしたなと思う。
真似をすることは悪いことじゃない。だいたい表現というのはオリジナルと言うものはほとんどないのだから。ユンさんが「冬ソナ」の純愛の高校生という立場を表すのに、大林監督の青春映画を参照にするというのは十分考えられるから。
そして、画の共通性でなく、内容的な類似性として捉えられるのが、あの小鳥のようなついばむようなキスの場面だ。「時かけ」ではキスの場面はない。が、チュっと吸いつけられるようにするアベック人形が随所に出てくる。小物好きのユンさんがこの人形に魅せられ、そこから、雪の中のあのキスシーンに昇華させたというのは十分考えられる。
さて、この大林作品は前から見たいと思っていた尾道三部作の一つだが、今回見て、実に映画的によく出来ていると感心した。日本映画ベスト50にいつも入っているのがよく分かった。しかし、主人公の原田の初々しいこと。昨年、黒木監督の「紙屋悦子の青春」もよかったが、このデビュー作品は彼女の最高の作品だ。
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