葬儀の通知
河合隼雄先生のお別れの会の案内が届いた。
9月2日、京都の国際会館で執り行われると書いてある。たしか、私の予定では8月26日から9月2日までロケだったと思う。お別れの会とロケの最終日が重なっている。残念だが参列できそうにもない。
通知のはがきを見ながらふと思った。
先生は文化庁長官という政治家になった理由はなんとなく分かる気がする。おそらく、心理療法士というものに国家資格を与えるという制度を確立したいと思い、あえて政治に足を向けたのではないか。だから、文部科学省が小学校の現場で「心のノート」をつけたいと言い出したときも、その政治主導の路線にのったのではないか。この心のノートへの河合先生の関与はずいぶん内外から批判されたが、私の知るかぎり先生は弁解も抗弁もしていない。
もし、政治に近寄らなければこんなに早く亡くなることはなかったはずだ。もっと学問的業績を積み上げたはずだ。それが惜しい。まだ、これから先生が解きたいと考えていた主題が5つや6つですまない。ケルトの森で「アナザーワールド(もう一つ別の世界)」という言葉を口にしたとき、その扉を開けて覗きたいと河合さんは考えていたのではないだろうか。心のエネルギーは私たちが想像する以上に巨大で激しいものであると語っていた河合さん。命のやりとりまで覚悟して臨床に立っていたということを、あのときあらためて私は思った。
たくさんの本を書き、おおぜいの人の前で講演してきた河合さんだが、私たちの知らない顔が一つある。精神分析のためにクライアントと向かいあっているときの顔だ。おそらく、クライアントの話を聞くばかりで、例の「ほうほう」とか「それで」とか「そりゃあ、大変でしたね」とか、まるで気の抜けたような相槌のような言葉ばかりだろうが、ある瞬間にあの細い目の奥がきらりと光る、その「時」を私もカメラも見たことがなかった。
そういう顔があるだろうということは、著作から推測できる。先生は未熟な分析者ということを、かなり強い調子で書いていたことからも、治療という場がどれほどの修羅場かということを私達に類推させた。
昨夜、大文字の送り火の生中継があった。コメンテーターに河合さんの盟友、山折哲雄さんがいた。五山送り火はあの世へ死者を帰還させるものだが、日本人には悲しみばかりでないものがあると、山折さんは解説していた。あれは、河合さんのことを思って今年の送り火を見ているのだなと、私は思った。
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