記録すること
ドキュメンタリーという言葉の元にあるのは、裁判所の調書、ドキュメントを指すということらしい。記録されたものという意味だ。
記録というと文字で残されたという意味が強いのはその成り立ちにあるのだ。
だが、現代では記録する、あるいは記録したという事柄は文字だけではない。録音テープにしろビデオテープにしろ、DVDにしろ、パソコンのメモリーにしろ、すべて記録という機能があって音や映像が残されるのだ。これらの電子機器の使用する形態を、記録されたものという表現を使うとき、なんとなく違和を感じるのは私だけだろうか。
記録するにあたる英語はレコードだ。いわゆる音盤のレコードは元来音声を記録したものだったから、英語圏ではビデオで収録すること、つまり録画をレコードと称することに抵抗はないのだろうか。
今、取材中の番組では一本の音声テープが重要な役割を果たすことになる。なんといってもSF作家クラブが誕生した瞬間を“記録”しているのだ。1963年の出来事だ。
番組の企画を立てるとき、過去の出来事を記録したものを発見することがなにより大きな力となる。かつては書物や書き物、石碑であったが、昭和30年代以降であればなんらかのカタチで音声や映像が残されていることが多くなった。それを探すことは、番組制作者の大きな仕事だ。
1994年に広島カープの津田恒美投手の人生を描いたことがある。炎のストッパーと言われた津田が脳腫瘍で倒れ、再起をめざすドキュメントだ。この番組の取材中に担当ディレクターは津田が病から立ち上がってリハビリに励む映像を見つけてきた。プロ野球選手として活躍する津田の映像はふんだんにあったが、闘病の姿はむろん誰も見ていなかった。どうやら、これは妻の晃代さんが民生用カメラで撮影したものらしい。画質はあまりよくないが、事実のもつ重み凄みがあった。
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