20年も昔
女優の栗山千明さん(23)と話していてエイトマンのことを知らないので驚いた。
彼女はアニメとかフィギュアの好きな人だから当然知っていると思ったのだが、1963年に登場したアニメなどというのは彼女らの世代では江戸や明治といった“歴史”と同じになっているのだ。
50年前でなくとも20年でも十分過ぎ去った過去になっている。最近の学生と話していると同時代と思っていることが食い違うので戸惑うことも多い。先日も大江文学のファンだという学生が、「大江さんの研究書を読んでいたら、先生が昔制作したドキュメンタリーがあると書いてあったのですが本当ですか」と“嘘”のような質問をされた。
ノーベル賞を受賞した年に放送された番組だから研究者として当然見てもいるだろうと思ったが、その学生が10歳のときだから同時代の出来事として捉えられなかったようだ。
いわんや同じ年に放送された津田投手の番組を挙げても、それはどういう人物ですかと逆に問い返される。同じ時代を生きているからと言って、“常識”と括るのはあぶないことだと痛感する。
自分の認識を点検してみる。20年前に思っていたことと現代でかなりずれたこととは何であるかと。
大きなことではパソコンとケイタイだ。当時はまだ実用化がここまで進むとは想像もつかなかった。コンピュータの未来はIBMやクレイといったスーパーコンピュータが進展していくもので、個人の小さなものがこれほど能力をもつとは考えも及ばない。中国の発展も目覚しい。20年前には、中国の製品というと筆とか硯、民芸品雑貨品が社の食堂の片隅で特売店を売られる程度であった。工業製品が出来るとは思えなかった。
大江さんが小説の終筆宣言をしたときに、これからどうしますかと尋ねると、ファンタジーを書いていこうかなと答えた。これが理解できなかった。それはどういうものですかとさらに聞くと、少年少女に向けた物語だよと笑いながら教えてくれる。それって小説とは違うのですかと問えば違うという。同席していた新聞記者たちも分かったような分からないような顔をしていた。
その後である。エンデの『モモ』が出たり、『ハリーポッター』や『ロードオブリング』が登場して、人口に膾炙してゆく。
動いていないようで、わずか20年でも世の中動いているのだ。
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