待ち時間に
明日の本番のための打ち合わせのためにスタンバイしているのだが、事態が動かない。
この合間に少し自分の気持ちを整理しておこう。
この2、3日いろいろなことが起こる。河合さんの訃報、鶴澤清治さんの人間国宝に決まったこと、あしたのSFの巨匠たちとの本番収録、禍福あざなえる縄のごとし。
大江健三郎さんの新刊『読む人間 大江健三郎』を手にとって、あとがきを読む。
《またこの市のアメリカ文化センターに通って、中学一年から岩波文庫でほとんど覚えるほど読んでいた『ハックルベリー・フィンの冒険』の原書を読みあげました。》
あ、大江さんは覚えていてくれたのだ。
今から25年前になる。私がディレクターとして「世界はヒロシマを覚えているか」というドキュメンタリーを制作した。そのときにちょっとしたサプライズを私は準備したことがある。
やはり、別のエッセーで松山のアメリカ文化センターのことを大江さんは書いていた。それを読んで私はアメリカ文化センターのその後を調べた。すると、センターそのものは戦後の混乱から日本が立ち直り成長軌道に乗り始めた頃廃止されていた。そのことは金沢の文化センターでの顛末で想像がついた。金沢ではその蔵書は市の図書館にどっさり寄贈されていたので松山でもどこかに仕舞われているのではないかとあたりをつけた。
松山市にリサーチで入った。聞き込みをやったところ、アメリカ文化センターの蔵書は市の建物の地階に整理されないまま積み上げられていることを知った。
その部屋を訪れると、なるほど乱雑に数千冊の英語の雑誌と書籍が放置されてあった。
私はよしっと覚悟を決めてその本の池の前に座り込んだ。一冊ずつ背表紙をたしかめて『ハックルベリー・フィンの冒険』を探した。名前の綴りだけが手がかりだ。小一時間ほど経ったとき、そのハックルベリー・フィンという文字に行き当たった。どきどきしながら裏表紙をめくった。見開きの左ページに貸し出し用のポケットがついている。その中に貸し出しカードが納まっている。そのカードを取り出した。
あった。上から3人目の欄に、しっかり大江健三郎とあの見慣れた大江さんの文字があった。字の癖は中学校時代からほとんど変わっていない。たしかに、この英語の本が大江さんの心を掴んだものだ。
数日後、大江さんをその「書庫」に案内した。怪訝な顔の大江さんにその『ハックルベリー・フィンの冒険』を示した。見る見る大江さんの表情が崩れた。本の好きな人だけあって、撮影の途中であったがすぐにその本に夢中になって読み始めたのだ。私たちはその本の池にどかっと座り込んで読みふける大江さんの後姿をしっかり撮影した。
その部屋での撮影の最後に、大江さんはこの『ハックルベリー・フィンの冒険』の好きな言葉を挙げてくれた。「よろしい、私はこのような人間として生きよう」
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