「湖の琴」
朝、敦賀を発って品川へ向かう。梅雨独特の長い雨が降り続けている。
駅のホームから四方を見渡すと低い雲がたれこめていた。特急白鷺は敦賀を出るとすぐ深い山道に入る。その名も深坂道だ。隋道を抜けると塩津の浜がいっとき見え琵琶湖が遠望できる。
さらにトンネルを抜けると余呉湖へ出る。雨があがって湖面が美しい。ここの水は人間の悲しみや喜びの涙で出来たという。別名鏡の海といわれる。ここを舞台に水上勉が「湖の琴」という美しい物語を書いていた。私は読んでいないが母は知っていて、昨夜その物語を聞いた。
この湖のほとりに三味線の糸の職人が住んでいた。三味線糸や琴糸の名産地で、余呉湖の水で洗われる糸はいい音色を出すと言われていた。職人の名は宇吉。そこへ糸とり女さくが雇われてくる。素朴な男女は互いに慕うこととなる。やがて宇吉に金沢の連隊から呼び出しがかかる。兵役で彼はこの美しい土地をしばし離れた。その間に、女の身の上に思わぬことが起こる。
京都から有名な長唄の師匠がやって来たのだ。彼はさくの美しさに魅入られて一つの曲を書く。それが縁でさくは京都の師匠の家へ引き取られることになる。宇吉と間を裂かれたさくにさらに不幸が襲いかかる。それを苦にして、さくは宇吉と結ばれた後姿を消す。彼女は宇吉がくれた琴糸で首をくくるのであった。・・・
次の朝、余呉湖にさくの亡骸を抱いて鏡の海へと入ってゆく姿があった。
この話を聞いたとき不思議な思いがした。2ヶ月ほど前、文楽太棹の鶴澤清治さんに文楽三味線の糸の存在を教えてもらったばかりだからだ。太棹の奏法は激しい。象牙のバチで糸を思い切り弾く。一番太い一の糸ならともかく三の糸などは鋭く高く振動して今にも切れそうだが切れない。これは絹糸を幾重にも撚り合わせていて見かけ以上に頑丈だという。ただし、この糸を撚り合わせる技術は全国でただ一つしかない。それは湖北、木の本辺りにいる職人だけだ、ということを清治さんから教えられたばかりだったのだ。
余呉湖の鏡の湖面を見ていると、繊細で強い太棹や琴の糸が生まれてくるふるさと――という言葉に納得する。
水上勉は若狭の人だから、私のふるさと敦賀や越前のことをよく描いているが、隣接する滋賀県にまで目を配っているのには驚く。それを母に言うと、比良山系の山を越えればすぐ若狭。鯖街道の走る道だから、水上勉にはけっして遠いところではなかったはずという答えであった。なるほどと思って「湖の琴」にあたってみると、糸取り女さくは若狭の山奥の貧農の家からやって来ていると書かれてあった。
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