映像の進化のよしあし
「闘う三味線 人間国宝に挑む」はついに昨夜完成した。番組登録が終了する9時直前に持ちこんでぎりぎりで間に合った。後は24日の放送を待つだけだ。
自分で言うのもおかしいがよく出来た作品になったと思う。主人公が魅力的であるし、物語のウゴキもあって骨太のヒューマンドキュメンタリーに仕上がったと感じている。持論の1ヒト2ウゴキの法則にかなっている。番組に勢いがあるのがなによりいい。
最近、テレビを見ていると、洒落ているしうまいと思うがどすんと腑に落ちる番組が少なくなった。自戒をこめて考えた。
映像のツールが進化してさまざまな表現が容易になった。例えばディゾルブである。画面と画面が重なり合うオーバーラップのことだ。30年前、VTRがまだ発達しておらずフィルムが中心だった頃はディゾルブ処理することは大変だったのだ。というのは先行する画がじょじょに消えてゆき(溶暗)、後発する画がじょじょに暗闇から現れてはっきり浮かび上がるというふうに現像して初めてオーバーラップが可能となったのだ。手間ひまがかかるからめったにディゾルブを使わなかった。
現在のビデオでコンピュータ処理になると、いとも簡単にオーバーラップは出来る。すると多用される。安易に使われると映像があまくなってくる。音楽番組などを見れば分かる。歌い手のルーズショットからアップへの切り返しまたはその逆の切り返しなどはほとんどディゾルブだ。カットつなぎなどしない。そのほうが洒落て見えるということなのだろう。こうして、今やドキュメンタリーですら大半がディゾルブで画がつながれ、カットでつながるようなことは少なくなった。流行もあろうが技術的に簡単になったこともあろう。
そうやって映像処理が進化したおかげでさまざまな表現が可能となったが、安易でお決まりな表現に陥りやすくなってもいる。
最近テレビが面白くないといわれるが、(私も含めて)作り手のなかにオートメーション化(慣らい仕事)が起きているのではないか。
今回の「闘う三味線」は90分の番組だがディゾルブはわずか2カットしかない。番組の主題がはっきりしていて登場人物のモチベーションも明確であると、番組は「楷書」のような分かりやすく勢いが出てくるものではないだろうか。
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