トモさん降臨
昨夜の市谷のアルカディアで行われた、日本作家クラブ40年史記念出版パーティは
150人ほどの参加があって盛会であった。会場には小松左京、石川喬司の重鎮を中心に中堅、若手のSF関係者が一同に会した。
事務局長の東野さんの司会で、冒頭の挨拶は小松さんだった。
この会の趣旨である40年史の作成を言い出したのは自分だということを明らかにして、この40年を振り返った。そこで多くの時間を割いて言及したのが、大伴昌司のことだった。石川さんや平井和正さんたちは懐かしそうに清聴していた。
1973年の大伴の1周忌には作家クラブの面々が集まり、鎌倉霊園の彼の墓所に参じた。小松さんも大阪から特急列車で駆けつけた。その夜は伊豆の温泉に行って全員で大伴の思い出を語ったそうだ。そのとき、小松さんは競馬の馬券になぞらえて、死に券というのを考えた。誰が死に近いかという券だ。そこでの下馬評は最初に死ぬのは小松で、万馬券と思われた半村良や大伴昌司が死ぬことになって、私はこうやって車椅子になっても生きている、と言って会場の笑いを小松さんはとっていた。元気そうなので安心した。
そんなエピソードと「40年史」をお土産に、本日大伴さんの母四至本アイさんを訪ねた。昨夜のことを話題にするとずいぶんと喜んでくれた。
そこで、私はカメラを回しながら、大伴さんの幼児の頃の話を聞かせてほしいと頼んだ。
最初は、突然なので戸惑っていたが、そのうちカメラに向かって、あれこれ話してくれた。
およそ2時間ほど、話を聞いて辞去した。ともかくアイさんも元気なので安心した。先日も病院で脳の内部を撮影したところ、何処も悪いところはないと太鼓判を押されたそうだ。アイさんは、今年95歳。関東大震災のときは宇都宮の小学6年生だったので、当時の恐怖はよく記憶している。戦前、女性記者時代に出会った有名人のことも詳細に記憶していた。記憶にぶれがないばかりか判断も鋭い。これからも少しずつ、話を聞いてゆくつもりだ。
夕べのことといい今朝のことといい、ずっとトモさんこと大伴昌司は降臨していたような気がしてならない。
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