アンカレッジルート
何時頃からアメリカ直行便になったっけ。私が最初にLAに行ったときはハワイで給油してから本土に向かった。1975年の頃だ。その後3,4回ほどアメリカやヨーロッパに行くことになるが、必ずアラスカのアンカレッジを経由したものだ。
昨夜、小説を読んでいてこのアンカレッジルートが書かれてあって懐かしく思った。
外国へ行くのが晴れがましく思えた70年代、羽田を飛び立つと最初の外国はアンカレッジだった。この地でいったん降りて給油する間、機外に出てトイレに行ったりショッピングをしたりした。時間にして一時間足らずだったが、結構外国気分を味わえた。トイレに入ると日本人には高いチューリップが並び、暖房が効いていないのか冷え冷えとしていた。窓の外を眺めるとマッキンレー山系に連なる高い山が真っ白な神々しい姿を見せた。
大きい免税店があった。アメリカ土産やブランド品が売られていた。ビーフジャーキーやチョコレートに混じってトナカイの人形なども売られていたと記憶する。アラスカのお土産品だったのだろうが、そういうものでも買いあさる日本のおばさん達がいて不思議だった。
免税店の売り子もおばさんが多かった。しかも日系のおばさんたちだ。日本から出稼ぎに来ているわけではなく、流暢な英語を話し片言の日本語を操るから、おそらく日系米人だったろう。アラスカに住んでいるのか、それとも西海岸あたりから働きに来ているのか、いずれにしてもそういう人が2,30人いた。当時のブランドはまだダンヒルやデュポンのライターやエルメスのスカーフぐらいだった。雑貨、タバコと洋酒がショッピングのお目当てだった。
ジェット機の足が急速に伸びてアメリカ直行便となりヨーロッパもシベリアルートに変更されるとアンカレッジへ行くことなどなくなった。当然、あの賑わいも免税店も消えたのではないだろうか。
エンカレッジメントという流行りの言葉がある。勇気付けとか励ますとでもいえばいいのか。福祉分野でよく聞かれる言葉だ。この言葉を聞くとアンカレッジを思う。冬の寒気を思い出す。エンカレッジメントなんて行為は生半可な気持ちではできない。秋霜烈日のような厳しい決意でないとできないと、イメージするのだった。
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