恋の風景
キャロル・ライ監督の映画「恋の風景」を見た。2003年のベネツィアに正式上映された作品だ。
香港から青島にやってきたマン。青島は亡くなった彼氏サムのふるさとだ。若年性の癌と思われる病に倒れ逝ってしまったサム。彼が最後に描き残した青島の風景を探そうとマンは香港からはるばる見知らぬ町へやってきたのだ。彼女の中の喪失感は深い。ともすれば自傷行為に陥ってしまう。
傷ついているこのマンを励ますような存在が、郵便配達のシャオリエだ。彼女が探す風景をいっしょになって探すのだ。亡くなった彼氏と、目の前にいる若い男、マンは新しい恋に引かれてゆくが、一方そういう自分を許すことができない。
亡くなったサムと目の前の若い男シャオリエのイメージの重なり合いは、どことなく「冬のソナタ」のチュンサンとミニョンのそれと似ている。映画のトーンもどことなくユン監督の匂いがしないでもない。ただ大きく違うのはシナリオだ。「恋の風景」は物語の構成が弱いのが気になった。でもなかなか心に染みる作品だった。ラストシーンだけがいただけない。この期におよんでアニメーションという手はないだろうと思ってしまう。
見終わってテレビに切り替えると、ちょうど「春のワルツ」が放送されるところだった。結末を知っているからどうしてもチェハの理不尽な態度がかえって不憫に思える。その分、ダニエルは得な役回りだとソ・ドヨンの肩をもちたくなる。
「恋の風景」は中国作品、「春のワルツ」は韓国作品、でも両者に共通する何かを感じた。
先日、橋本忍さんが、韓国の役者はみなよくトレーニングされていてうまいと褒めていたが、この中国映画も若い役者でも皆うまい。たしかに、日本のドラマでの若い役者たちは表現がぬるい気がする。
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