団塊自殺最悪
昨夜、縄文ドリーム主人と久しぶりに飲んで旧交をあたためた。主人も私も団塊世代。
同じ世代の悲哀を背負っている。そこのあたりについて意見を交わした。このところ一人で考えていたことに、共通のものがあると知り、背負ったものが少し軽くなった気がした。
世代の悲哀とは、神谷美恵子が指す向老期の問題である。縄文主人は2つの本を教示してくれた。一つは司馬遼太郎の『花神』、他は堀江某の『王子駅まで』。早速、図書館で探して読んでみよう。二人の話は弾み、いつのまにか10時になっていた。
楽しい酒は杯も軽い。焼酎を3杯もお替りした。
気分よく渋谷駅まで来て、キオスクの前に立つと、新聞スタンドにタブロイド紙の宣伝びらが張ってある。でかでかと「団塊自殺最悪」とあった。記事など読まなくても想像できる。六十歳をむかえた団塊は今自ら命を絶つことが増えているというのだろう。年金の問題や雇用不安の問題がこの世代にずしりとのしかかっているとでも解説してあるのだろうか。言っておくが、そういうことで人は死なない。
宇佐美斉の中原中也についての文章「この世とあの世の往還」を読む。中也の詩に出てくる魂のことに言及している。その中に、この世とあの世の境界が明らかにされないままの超自然の光景を、中也が見ていると推測している。
そう言えば、「在りし日の歌」という遺稿詩集の題も変だ。宇佐美は、在りし日とは「過ぎ去ったかっての時」と「死んだ人がかつて生きていた時」の両方の意味があると指摘する。
中也は晩年生きながらにして死んでいたのか。
困ったときの神(谷美恵子)頼み。彼女の『こころの旅』の最終章「旅の終わり」ではっとする文章を見つける。
《生にはほとんど必然的に苦しみが伴うが、これを乗り越えるためにも、「自己対自己」の世界の息苦しさから解放されて、野の花のようにそぼくに天を仰いで、ただ立っている、というよろこびと安らぎが必要らしい。それは植物や動物と同様に、人間もまた大自然の中に「生かされている」からなのだろう。》
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング