浦上に帰りたい
六月の声を聞くと暑さが増した気がする。
今朝は、目が覚めて以来ずっとさだまさしの「絵はがき坂」が脳裏で鳴り響いている。
♪活水あたりはまだ 絵はがきどおりの坂
蔦や葛を香り背に学生たちが通る
あなたの横顔越しにシャボン玉がいっせいに弾けたのは・・・
くんちに向けての練習が始まるのもこの時期からじゃなかったかな。しゃぎりの音が聞こえてくると、町は華やいだものだ。
4年間過ごした長崎の町、とりわけ私には浦上地区が思い出深い。住んだ場所が住吉という浦上の一角だったし、遊んだのも浦上だった。この町の中心に原爆が落ちたから、町の至るところに被災の記念碑がある。一方、江戸時代からキリシタンが大勢潜伏したからカトリックの施設も多かった。この二つの基調低音を響かせながら、南国特有のお気楽な気分が似合った町、浦上。
赤迫行きと書かれたチンチン電車に乗ってがたごと揺られて帰りたい。長崎駅前、八千代町、宝町、茂里町、浦上駅前、大学病院前、浜口町、松山町、大橋・・・・・。
昔、大連に住んでいたことがある人が天気予報をラジオで聞くのが好きと言っていた。「大連、北北西の風、」とラジオの声を聞くだけで、アカシアの葉がいっぱい生い茂った大連を思い出すのですと、懐かしそうに語っていた。私であれば、長崎の浦上と聞けばぱーっと目の前に風景が現われてくる。
「今日も暑うなるぞ」とバス停まで歩いていった。少し歩いただけでハンカチがすぐ濡れた。フランソアでふわふわの菓子パンを買って、食べながら歩いた。当時流行っていた歌はラッツ&スターの「め組の人」だった。
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