たらちねの
故郷へ帰って日曜日、朝寝坊している。まったく静かな日曜日、時折風が雨戸を揺らすほどだ。仏間の隣の部屋で布団を敷いて寝転がる。三田村鳶魚の『徳川の家督争い』という御家騒動のネタ本のようなものを面白がって読む。
三田村鳶魚という人は昭和27年に82歳で亡くなっているが、江戸の研究家として知られている。江戸の風俗を知るにはこの人の著作集が役にたつのだが、昨日百万遍の古書店で彼の文庫本を見つけ読み始めたというわけだ。
冒頭が宇都宮釣天井事件。同僚がその事件の張本人の末裔だということは前にも書いたが、この事件の顛末がめっぽう興味深い。大名の争いも実はジェラシーが原因となっているということがよく分かる。
田舎の家に戻ると食事は老人食一色となる。魚、漬物、ごはん。たらちねの母が作るものは似たようなものばかり。大津で生まれた母には京都は馴染みのある場所で、そこの和菓子やうどんは好物である。肉と名のつくものはいっさい受け付けない。その母の最近の短歌に京都があった。
如月の風も冷たき京の町受験子連れて五条坂を行きし
息子3人を育てた彼女にとって、8年にわたる大学受験がいつも悩みのタネであったのだろう。
そういえば、落語の「たらちね」は八五郎が京のお屋敷者をめとる話だ。最初に自己紹介するときの嫁の口上はいつ聞いても好きだ。
《父はもと京都の産にして、姓は安藤、名は慶三。あだ名を五光。母は千代女と申せしが、三十三歳の折、ある夜、丹頂の夢をみてはらめるが故に、たらちねの体内をいでしときは、鶴女と申せしが、成長の後これを改め「清女」と申しはべるなり。》とこれを聞いて職人の八は感動するというか驚く。これは元々上方落語から由来するようだが、「たらちね」とは母の枕詞。バカ丁寧な物言いを面白がった古典落語だ。
長塚節の短歌を思い出した。
たらちねの母がつりたる青蚊帳(あおがや)をすがしといねつたるみたれども
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