大磯坂田山心中
五月晴れだったので高田公園を経由して大磯図書館に行った。
公園から望む相模湾は広く青々としていた。気分がすかっとする。
図書館へ行って大磯町史をぱらぱらと見ていたら、坂田山心中の現場は高田公園の隣接した雑木林だとあった。
昭和7年5月9日、大磯町の山林で若い男女の心中死体が発見された。男は学生服に角帽、女は錦紗の着物を着ており一見しただけで裕福な男女であることがわかった。
間もなく、身元が判明した。男は東京白金の慶大生G,女は伊豆の素封家の娘Y。遺書があって女性の親から反対されたので死ぬとあったので、心中ということで処理された。遺品に手紙の束や「赤い鳥」が数冊にまじってヘリオトロープの植木鉢があった。ここまでは普通の情死事件だった。
ところが仮埋葬された女性の遺体が消えた。すわ猟奇殺人かと世論は色めき立つ。翌日、大磯の浜の船小屋からYの全裸の死体が見つかった。新聞は書いた。「一糸まとはず大磯海岸で発見」エログロの妄想を掻き立てた。
死体を盗んだ犯人が1週間後に捕まる。埋葬関係者の60代の男だった。いたずらと金品目的で強奪したがその目的は果たせなかったようだ。遺体を解剖した裁判医はその事実なしとし、さらに大磯署は「令嬢は清く汚れのない処女であった」と異例の発表をしたので、純愛、プラトニックの愛としてますます喧伝されることとなった。双方の親は話し合って分骨し、ともに埋葬して二人が天国で結ばれますようにと弔った。
事件が沈静化した頃、二人の心を留めるために比翼塚を作ろうという声が町の有志からおきる。45メートルの小高い坂田山から相模湾の見晴らしがよく名所になるのではという思惑もあったらしい。
この心中事件は、抜けめのない人々が歌謡曲にしたてあげる。作詞は西条八十に依頼した。最初の題名は「相模灘悲歌」だった。
♪ふたりの恋はきよかった 神様だけがごぞんじよ
死んでたのしい天国で
あなたの妻になりますわ
タイトルは東京日日新聞の見出し「天国で結ぶ恋」に変わる。売り出されたところ大ヒットなった。さらに松竹が「天国に結ぶ恋(五所平之助監督)」で封切ったところ大ロングランになったという。その影響か、心中現場へ見物に出かける者がふえた。あの比翼塚へ参拝したいとおおぜいの男女が山を埋め尽くした。麓の茶店では天国まんじゅう夫婦まんじゅうが売り出され、大人気となったと町史には書かれてある。
一方、この地が心中の格好の場となり、この年、坂田山において、6月から12月の7ヶ月間に20組もの心中事件が発生した。町は悲鳴をあげ、警察による警戒を強めた。その結果、自殺の場所は大島の三原山に移ったと、町史はうれしそうに記してある。
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