山本周五郎と藤沢周平
近年、藤沢周平の盛名は高い。山本周五郎よりも大きい。
だが。藤沢が世に出てきたとき、彼の作品の味は周五郎に似ているといわれたものだ。
藤沢周平に出会う前、山本周五郎にハマっていた時代があったという声も少なくなかった。
二人に共通するのは、目線が低いことだ。周五郎はこんなことを書いている。
《慶長五年の何月何日に大阪城でどういうことがあったかではなくて、そのとき道修町のある商家の丁稚がどういう悲しい思いをしたか(略)どういうことをしようとしたかということを探究するのが文学の仕事だ。(「歴史と文学」)》
実際、周平自身も似ていると言われることを否定もしていない。「周平独言」でもそれらしいことを書いている。
私が周平を読み出した頃はまだ彼も生きていた。貪るように読んでも、まだまだ楽しめると楽観していた。新作をこれからも期待すればいいと思っていたのだが、急死(私にはそう思えた)したとき、これで作品は限られたものとなり、新作を読むこともできないのだと落胆した。
再び、周五郎を読もうと思うようになったのも周平の味を求めてである。ところが、周五郎作品は周平に比べてやや重く説教臭いのだ。『日本婦道記』などは立派すぎて鼻白むこともしばしばある。ついつい敬遠してしまうのだが、今朝読んだ「花杖記」は良かった。
加条与四郎は青年剣士だ。道場で試合中、父が乱心したとして突然拘束されることになる。たしか、父は藩主に会うといって国許へ帰ったはずだが、父の身に何が起きたのか。
永代御意見役として禁欲的に生きる父を、与四郎は幼い頃から敬遠してきた。だが殺害後、その父が急速に身近に迫ってくる気が与四郎にはした。殺害の理由を調べるため、彼はひそかに国許へ潜入することになる。そこでは幼馴染の娘と親友が与四郎のために一肌脱いでくれる・・・。
逃亡したとして江戸から触れが廻っている城下へ入った与四郎は、姿を隠す必要が生じた。そのとき、子供の頃に遊んだあばら家の古井戸のことが与四郎の脳裏をかすめた。その空井戸の底に横穴を腕白たちと掘って遊んだことを思い出したのだ。彼は数日間そこに潜んで父の汚名をそそぐ計画を練るのである。
ここで、私は血湧き肉躍ったのだ。古井戸の横穴は私の一番好きな設定なのだ。ここに潜んだり財宝を隠したりするというのが物語に出てくると興奮するのだ。大伴昌司同様、地底都市、地底構造物が大好きなのだ。だからルパンの「奇岩城」などはお気に入りの一つだ。
自慢じゃないが、私はれっきとした閉所恐怖症だ。脳検査で使用されるMRIなどには5分と入っていることができないほどだ。だが、洞穴特に横穴となるとすぐ入りたくなるのだ。
こんなことがあった。長崎で番組を作っていた頃だ。
長崎には大航海時代にやってきた宣教師によって、大きな教会が3つほど造られた。ところが禁教令が出ると、それらの教会は破却されそのあとに大きな寺院が建った。その一つに春徳寺がある。この話を聞いて、私はその春徳寺に行った。むろん、慶長年間の名残など何も残っていない。が、井戸だけがあった。住職に聞けばこれは当時からのものだという。私はこの古井戸の底に横穴があるかもしれないと、夢想した。今考えると児戯めいていて馬鹿馬鹿しいのだが、そのときはそう思いこんだ。どうしても確かめたいと切望した。
三ヶ月後、井戸浚いのとき、私はお寺に断って井戸を降りた。そして、側壁を調べたのである。当然、何もなかった。キリシタンの潜伏した痕跡もないかと期待したが、まったく普通の井戸であった。
こんなふうに、井戸と聞くとすぐ私は反応してしまう。本日の「花杖記」はそういう意味でも、私を十分楽しませてくれた。
周五郎と周平について書くつもりでいたが、その構想は腰砕けとなった。嗚呼。
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