1969年、アポロ11号
「あしたのジョー」が始まった1968年は若者の反乱の年で、スチューデントパワーが爆発した。地方都市にいた私はそちらばかりに気をとられていたが、都会ではもう一つ大きな文化の波が押し寄せていた。SFの波だ。むろん、SF小説はその10年前から勃興していたが、68年にSF映画の傑作「2001年宇宙の旅」が4月に公開されたのだ。今では、SFのみならず映画の傑作として映画史に残るが、公開当時は大きな話題にはならず、一部好事家の喝采を得ただけであった。監督のS・キューブリックはカブリックと紹介されるほどだった。
そういう中で、大伴昌司を初めとする小松左京、石川喬司、豊田有恒、手塚治虫ら日本SF作家クラブはこの映画を高く評価した。大伴は翌69年、彼が編集人となってキネマ旬報から臨時増刊号「世界SF映画大鑑」を出版する。これは、後にSFファンやマンガ、アニメのファンたちから尊ばれる貴重書となるのだが。69年には、この映画が描いたことが現実味を増す出来事が起きたのだ。アポロ11号の月面着陸で、宇宙ブームが起きた。
この月面着陸のとき、テレビ各局はゲストを招いて特番を組むが、フジテレビでは円谷英二と大伴昌司をスタジオに招いてこの快挙についての解説を依頼した。
この夜のことを、母の四至本アイさんはよく覚えている。
夕方遅く、外出先から夫君の八郎氏と一緒に帰宅しようとしたときのことだ。池上駅近くで二人は大伴とすれ違った。そ知らぬ顔で大伴は駅に向かって行く。どこへ行くのとアイさんは大伴に声をかけた。「うるさい、いちいち聞くな」と例の威張った口調で両親に文句を言って、改札の向こうに行ってしまった。
深夜、四至本八郎がテレビを見ていて、アイさんを呼んだ。「おい、あれは豊治じゃないか」と画面を指差す。見ると、おおぜいの宇宙ファンの前に座って、ディスカバリー号の構造や機能について大伴が得々と説明していた。アイさんは、自分の息子がそういう知識があってテレビで解説するような立場にあるということを、このとき初めて知った。
(この項つづく)
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