「耳すま」とファンから呼ばれているそうだ
宮崎駿作品の「耳をすませば」。たしかテレビで放映されたときに部分的には見たことがあったが、今夜初めて全部を見通した。
いい作品だと思った。ジブリ作品では「となりのトトロ」が私にとってベストワンだが、それに続くのがこの「耳すま」だと見終わって感じた。
主人公は中学三年生の女子。高校入試をひかえていて、進路ということが目の前に現れるときの多感な存在を設定していることに、まず惹かれた。
読書好きの中学3年月島雫。図書館へよく通う。そこで本を借り出しているうちに、読書カードでお馴染みの名前に気づく。この仕掛けは青春ものの定番だが嫌味ではない。
名前による出会いの青春映画といえば、岩井俊二「ラブレター」だ。藤井樹(いつき)という亡くなった彼へあてたつもりで書いた手紙が同名の女性に届き、二人の手紙のやりとりが始まるという洒落た物語だった。冬ソナが日本に登場したとき、ユン監督はこれを真似したのではないかという声があがったことがある。一度、私は監督に真偽を聞いたことがある。苦笑しながら、実はそれまで見たことがなかったので、言われてから見ましたと答えた。監督も好きな映画だと語っていた。
さて、「耳すま」に戻ろう。月島雫の読む本を全て先に借りて読んでいる「天沢聖司」。やがて、その天沢聖司が同級生だと知り、二人はある出来事から偶然出会うことになる。ある日、雫が図書館へ向かっていると、変な猫を見つけ、その猫を追いかける。坂を駆け上がると、これまで見たことないお屋敷町に猫は雫を導く。そこにあった洒落たアンティークショップへ猫は入っていった。後を追った雫は店で意味ありげな老人と出会う。彼は地下の工房でバイオリンを作っていた。その老人は天沢聖司と深い関係にあったのだ・・・・・。
このドラマに繰り返し響くのがジョン・デンバーの「カントリーロード」だ。この歌を日本の多摩ローカルに見たてた訳詩で聞かせるのが、実に効いている。この原作が少女コミックだったそうだが、音楽の能力(ちから)を宮崎はうまく使って効果をあげている。そして、なによりアニメ効果があるのは、幻想シーンの浮遊感覚だろう。雫が天空に足を踏み出す場面など、アニメでしか表せないものだ。宮崎はうまい。
トトロのときも感じたが、この耳すまでも背景というか、物語の舞台の風景が素晴らしい。坂道、郊外電車の通過する町、崖に立つアンティークショップ、など。とくに坂のある町がロマンを感じさせる。どこかで見て感じた風景だなと考えたら、大林宣彦「さびしんぼう」とよく似ていた。私の住む大磯とも似ている。
このアニメを創ったのは宮崎駿と思っていたが、タイトルロールで彼は総合プロデューサーで、実際に担当したのは近藤喜文という人物だということを知る。その監督は47歳の若さで死んだという。どんな人だったのか少し気になる。新潟県出身で象のようなやさしい風貌は、あのトキワ荘の寺田ヒロオを想起させるではないか。
こういう物語が好きなのだが、「もののけ姫」あたりから私は宮崎アニメと少しずつ合わなくなってきている。もう一度、宮崎にはこういう世界に帰ってきてほしいと思う。
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