再訪「心の旅路」
今朝の大磯は、鶯の声がしきりにする。鶯の声は特定の個人や思い出ではなく懐かしさ一般を呼び出してくる。くもった空に声がひびくと、ぼんやり懐かしさが広がる。
昨夜、「心の旅路」を久しぶりに見た。いい映画というのは見るというより訪れるという感覚にちかい。その世界に入ってゆく気がした。
20年ぶりに改めて見たせいか、以前には気がつかなかったことにも私の意識が及んだ。ロナルド・コールマンはメロドラマの主役にしては老けていると前見たときに感じていたが、スミシィと実業家の二つの顔をもつには、これぐらいの分別ある男でないと深みが出ないと納得した。それにしてもコールマンもグリア・ガースンも目の演技のすばらしいこと。すれ違ってゆく二人の心境が観客によく伝わる。マーヴィン・ルロイ監督の演出が冴えている。
記憶がこのドラマの主題であることが、「冬のソナタ」とよく似たテーストをかもしているのだろう。コールマンがなくした記憶を辿ろうとしても、ある地点から薄れてゆくという内面を、実際の霧の風景でよく表していた。
最後の場面で、二人がかつて暮らした家にコールマンがたどり着く。ポーチの戸を押すと立て付けの悪い音がする。昔よく聞いた音だ。さらに玄関に向うと満開の桜の枝が顔にあたるので避けようとする。この行為にも昔の覚えがある。そして、最後に鍵を鍵穴にさしこむ。ぴったりとはまる。戸が内側に大きく開かれる。この間、コールマンの表情はいっさいない。後姿だけだ。だが、ひしひしとコールマンの驚きと喜びが伝わってくるのであった。
「冬のソナタ」の不可能の家を思い出した。ユジンが船に乗って島にやってくる。森を抜けて不可能の家に向う。それまでそこにいたチュンサンは帰ってゆく。すれちがう。
ユジンはその家を初めて見たにもかかわらず一つ一つ見覚えがある。そこへ忘れ物をとりに帰ってくるチュンサン…。この場面の美しさが久しぶりによみがえって来た。
「心の旅路」で語られるセリフにマイメモリーというのが心に残る。
あ、そうか。「冬のソナタ」の主要な歌の題名と同じか。私は「心の旅路」を見ながら「冬のソナタ」を重ねて見ていたのだ。
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