
漫画とSF
今やマンガは世界に誇る日本の文化ということで、大の大人が語ることも恥ずかしいことではなくなっている。
先日、私は「あしたのジョーの、あの時代」というドキュメンタリーを制作した。この「あしたのジョー」はまさに私のような団塊世代にとって画期的にマンガであることを証明したかったのであるが、今、私は昭和特に戦後まもない30年代の大衆文化にとても関心をもっている。
理由の一つは、大伴昌司の生きた時代というものを把握したいということもあるが、現在隆盛を極めるマンガ、アニメ、ライトノベルの祖形がすべて其の頃に用意されているということがとても気になるのだ。
戦前から児童漫画というものはあった。「のらくろ」とか「冒険ダン吉」とかいった作品だ。
その流れから生まれたのが、昭和22年に創刊された「漫画少年」という月刊誌だ。戦前「少年倶楽部」の編集長だった加藤謙一が作った。彼は公職追放されていたので、自分で学童社という会社を興してこの本をはじめたのだ。この本が後のマンガ史に残ることになる。
一方、関西を中心として赤本という粗悪な漫画本が数多く出回る。娯楽に飢えていた子供らはたとえ粗末で内容が浅くても漫画を待望していたのだ。そんななかで、きらりと光る赤本が昭和22年大阪で出版される。手塚治虫の「新宝島」だ。はぎれのいいストーリー、テンポのある展開で子供たちのこころを掴み、あっという間に40万売れた。
漫画少年の心をつかんだのは何より手塚の絵だった。動きのある絵にするためのアニメ的コマ送り、映画的クローズアップの手法など、それまでの漫画とまったく異なる斬新さだった。仙台にいた石森章太郎も富山にいた藤子不二雄も、みな憧れた。
後にマンガ家になった人物ばかりじゃない。モリミノルと名乗って漫画を描いていた小松左京も筒井康隆も平井和正も眉村卓も、いわゆる後のSF作家たちもみんな手塚漫画にいかれたのだ。
どうやら、漫画とSFが親和性があるようだ。其の仮説をこれから少しずつ検証していこうと私は密かにかんがえている。
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