2月7日 のど自慢の思い出
昨日の「NHKのど自慢」鳥取大会を見ていて、最後の演奏者紹介でシンセサイザー奏者がよく知っている女性だったので驚いた。10年前私が広島の局で番組を作っていたとき、いっしょに働いていたプレイヤーだ。その彼女から今年の正月3日に突然電話をもらったことを思い出した。バンドリーダーのトヨさんが2日に亡くなったという知らせを彼女は伝えてきたのである。
最初彼女が姓を名乗ったとき一瞬誰だか分からなかったが、トヨさんといっしょに働いていましたと聞いて思い出した。そしてその訃報におどろいた。たしかトヨさんは私と同年の57歳。まだ天寿を全うする歳ではないはずだ。
すい臓がんだった。2年前に胃がんになりその後仕事を控えながら病と闘ってきたがついに倒れたという。葬儀は翌日だと彼女は告げた。
1月4日早朝、ANAで羽田から広島へ向かった。午後1時からの葬儀に間に合った。会場には100名あまりの参列者がいて、顔見知りが数人いた。最後の棺を蓋う前にお顔を見たとたん、そのやつれてはいるものの若々しさを残したトヨさんの姿にこみあげるものを抑えることができなかった。
トヨさんは広島を中心に中国地方を拠点として活動する音楽事務所を営んでいた。自身もうまいドラマーでバンドリーダーを勤めていた。芸能界に身をおく人とは思えない質実で謹直な人だった。たしか趣味は魚つりで暇があると瀬戸内海へ出かけていた。私は芸能畑の者ではないが、当時中国地方の番組制作統括ということで、管内で開かれるのど自慢などには現地に足を運んでいた。めったに音楽イベントなどない地方の市町村へ行くと、楽しみに待っていてくれるお年よりの顔を見るのが私自身好きだったのだ。
のど自慢の本番が終わった後、プレイヤーや番組スタッフと打ち上げを兼ねて居酒屋でいっぱいやったものだ。そういう折トヨさんは寡黙でニコニコ笑って杯をくいっくいっと空けていた。呑んでも乱れない人だった。
仕事がゆきずまって悩んでいたときもトヨさんに助けてもらったことも何度かあった。その後広島を離れ東京へ戻って1月足らずで私が脳出血を発症し再起不能かと噂されたときも、励ましの手紙をトヨさんからもらった。目立たずさりげなく私をサポートしていてくれたんだと、改めて実感し、斎場であふれ出る感情を止めることができなかった。
のど自慢鳥取大会、ドラムの席に若い奏者が座っているのを見て、トヨさんのことを思い出した。