植木等さんの死
9時前、渋谷駅前の交差点を走りぬけているとケータイが鳴った。出ると、報道局からで植木等さんが亡くなったと伝えてきた。
1年前の私が制作した番組についての問い合わせだった。
近年、健康がすぐれず鳥取の病院で療養することが多かったことは知っていたが、まさかこんなに早く植木さんが逝かれるとは思いもよらなかった。
このブログで植木さんの死を書くとは思いもよらなかった。
今朝、蕾だった桜が夜になってほころんでいた。東京は本日桜開花となった。この日、植木さんは往生されたのだ。
植木さんの番組を私が作る契機は、私が長男のヒロシさんと友達だったからだ。ヒロシさんとは25年来の友達だ。彼は作曲、編曲家で、私が子供音楽番組を担当しているときからの付き合いだ。独立心の強いヒロシさんは植木ジュニアと呼ばれるのを嫌って、いっさい他言しなかった。だから、私も植木さんのことを持ち出すのは遠慮していたが、1昨年久しぶりに会ったときヒロシさんに父上のドキュメンタリーを撮らせてもらえないかと頼むと、あっさり「いいですよ、父に話をしてみましょう」と答えてくれたことから始まったのだ。
私の番組は長いものとなったが、出来上がったとき、植木さんはずいぶん高く評価してくれたことが、今も心に残っている。
今、9時のニュースが放映されている。植木さんの自分の人生を振り返った言葉が最後に流れた。
「夢を食い続けた男、それは僕ですよ」
植木等さんのご冥福を祈る。合掌。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング