春は蕪村
先日、図書館で蕪村を三冊ほど借りたが正解であった。この人は思っていたとおり春の詩人であった。このことを力説しているのが、評論家の森本哲郎だ。彼の『月は東に』(新潮社)にはどれほど蕪村が春を愛し春を意識していたかを克明に描いている。
春と言っても、現在のような早春から春たけなわ、晩春、惜春まで多様な顔がある。本日は行く春、惜しむ春にこだわった蕪村をメモしておこう。
けふのみの春を歩いて仕舞いけり
今日で終わってゆくであろう春を惜しむ、蕪村のこころ。
来週は桜の見頃となるそうだ。花の季節は春そのもの。
花に暮れてわが家遠き野道かな
桜の満開は大きな寺院こそ華やかなもの。夕暮れになると、その大門も錠がかかる。
大門のおもき扉や春の暮
蕪村という人はユーモアがそこここにある。
行春や眼にあはぬめがね失ひぬ
ところで蕪村は小さな世界が好きだということはよく知られている。
桃源の路次の細さよ冬ごもり
小さな路地の奥に隠れ住むようにして冬ごもりをする人。どんな贅沢をするわけではないが仕合せに満ちた人生と言えないだろうか。路地の奥にあるユートピア。こういう気分を尊んだ蕪村だもの、春をみつけるのもさりげないのだ。
今宵、雨上がりの白金台をポケットウィスキーをラッパ飲みしながら散歩した。寒さは少しゆるんで町の明かりもけぶっているようだ。蕪村の路地と違ってお屋敷が並んでいるのだが、路地の細さだけは風情がありぶらぶら歩くのも悪くはない。ニッカのポケット瓶はよくまわる。ふらふらして線路端を歩いていたら、パトロールの自転車に乗ったおまわりさんに呼び止められた。どこまで行くのかと聞くから、「あっち」と指さしたら、「少し飲んでいますか」と言う。春なのでと答えたら、交番へ連れて行かれた。
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