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定年再出発  


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by yamato-y
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編集装丁家

編集装丁家

田村義也といえば本の装丁の名人だ。特徴ある本のタイトルの文字。名前を知らない人でも彼の手による装丁の本は何度も目にしているはずだ。
たとえば、大江健三郎『新年の挨拶』、安岡章太郎『果てもない道中記』、金石範『火山島』、加藤周一『夕陽妄語』、『本田靖春集』・・・。44年間に1400の装丁をしているという。
2003年に惜しまれて亡くなったが、このたび田村の偉業を記念する本が出版された。『ゆの字物語』、装丁は桂川という人だが、本扉文字は田村自身の手による。

私は一度だけ田村と会っている。今から8年ほど前だ。
作家の安岡章太郎の従軍体験を番組にしようと考えていたときのことだ。安岡はソ満国境まで一兵卒として連れていかれたが、病を得て本土に送還され、一命をとりとめた体験がある。彼が属していた部隊はその後南方に転戦し、ほぼ全滅したと彼は苦い思いで書いていた。そのソ満国境の土地を再訪するドキュメンタリーを作りたいと私は考えた。

当時、安岡は健康をそこない半分リタイアに近い状態であった。その体の状態で大陸まで行けるだろうか。そして、彼自身兵隊体験は「敗残兵」という重い意識を抱え込んでいたので、再訪ということをどう考えるだろうか、私たちも彼をうまく説得できるか予断をもてなかった。

その安岡と同年代で、かつ編集者として装丁家として、田村は安岡から深い信頼を得ていた。かつ、田村自身も兵隊体験があったので、まず田村にこの件について相談しようということになった。
実は、私には田村と繋がる一点があったのだ。

 大江さんの本を、田村はいくつか装丁している。その縁もあって、大江光さんが音楽に関心を持ち始めた頃に家庭教師のことで、大江さんは田村に相談した。ピアノの教師で誰かいい人物はいないかと尋ねたところ、田村は妻の久美子さんの名を挙げた。久美子さんは自宅でピアノ教室を開いていたのだ。

 田村久美子さんはまさに光さんにジャストミートする先生であった。けっして学習を押し付けず、音楽を楽しみながら音楽理論を教えたのだ。そうして、ついに音の尻取りから始まって、光さんはオリジナルのメロディを創作していくのだ。このプロセスを私は後に「響きあう父と子」というドキュメンタリーで描くことになる。
其の縁もあって、私は久美子さんを通じて田村義也を紹介してもらうのであった。

九品仏の駅から数分歩いた住宅街の一角に田村邸があった。気難しい親父だとうわさを聞いていたが、私の前に現れた御仁はざっくばらんなおじいさんだった。久美子夫人から私と大江さんのことを聞いていたらしく、親しく安岡さんの事情を話してくれた。田村のアドバイスは、安岡さんの健康状態がポイントで、それさえ許すなら現地まで彼を連れ出してドキュメントするべきと、私たちを励ましてくれた。もともと、岩波書店の名編集者だけあって文学や社会の事象に見聞が広く、小一時間話し合っても飽きなかった。年はとっても好奇心が旺盛だと思った。
タバコを片時も離さない。

田村は岩波書店に在籍していたころ、岩波新書の名作をいくつも作っている。その中に坂口謹一郎著「世界の酒」がある。世界的な発酵の研究者をして酒の紀行文を田村は書かせたのだ。以来40年近く交友するのだ。その経緯が「坂口謹一郎先生と本作り」という文章に田村はしている。その互いの信頼はまことにうらやましい。どうやら田村は同じ岩波の先輩小林勇を意識していたようだ。小林はあの幸田露伴と長く交友して、そのことを「蝸牛庵訪問記」として表していて編集者冥利につきる付き合いをしていたのだ。それに勝るとも劣らない付き合いを田村もしている。二重に私はうらやましい。田村は自分の文章のなかに、坂口が作った短歌を引用している。
わがいのちふと惜しまれぬ山の端を はなるる月のあまり速きに

さて、田村に相談した安岡章太郎の満蒙再訪のドキュメンタリーは、この後安岡が体調を崩して流れた。残念だった。今も未練がある。
元気そうで米寿ぐらいまでは生きるだろうと思っていた田村義也が、私が会った4年後亡くなった。80歳だった。


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by yamato-y | 2007-03-21 17:44 | 賢者の面影 | Comments(1)
Commented at 2021-02-12 22:33 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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