Mizumakuraの起源
俳人とはよく言えば風狂、はっきり言えば変わり者が多い。世間のタガが外れているから凡人のわれわれは憧れ、かの人が作る句を読んで引かれるのだろう。
私がこのブログの号に使っているmizumakuraは、西東三鬼の句からとっている。
水枕ガバリと寒い海がある
この句は、三鬼が急性の肺結核で高熱がつづいたときに得たものだ。
三鬼は写真を見ても分かるとおり悪美男だ。コールマンひげをたくわえた風貌はダンディにして胡散臭い。
戦前のシンガポールで歯科医として働いていたという経歴からしても胡散臭さは半端ではない。
戦時下の昭和17年から21年まで、三鬼は神戸のトーアロードにあるホテルに身を沈めていた。白系ロシア人、トルコ人、エジプト人や朝鮮、台湾の人に、日本人12人がいた。日本人の10人はバーで働く女たちであった。ここで、三鬼は通りを行く人の姿を日がな一日眺め、女たちや外国人の相談に乗るという無為の暮らしを送った。
まるで芝居の世界だ。実際、これはテレビドラマにもなった。三田佳子が主演した「冬の桃」である。演出は夫のタカハシヤスオさんがした。この題「冬の桃」は三鬼の句に由来する。
中年や遠く実れる夜の桃
夜の桃が最初の題であったが卑猥だという意見が出て冬の桃にしたさと、ヤスオさんから話を聞いた。彼の行き付けの飲み屋の棚にます酒の枡が並べてあって、その底に言葉を記して自分専用だと分かるようになっている。そこにヤスオさんは、「中年や」の句を書きつけていた。
三鬼はいろいろな女と浮名を流したが、本当はどうやらババ専だったという話がある。18歳のときに母を失っていて、終生母を恋しく思ったというのだ。こんな句がある。
緑陰に三人の老婆笑へりき
先の神戸のホテルだが、三鬼のもとへ波子という女が転がり込む。東京時代に知っていたチャブ屋の女だ。彼女はある男を追って神戸まで来たが理由あっていっしょになれず、ジャワのカフェーの女給にでもなろうと神戸から乗船するつもりでいたのだ。ところが、彼女の仲間が事件に巻き込まれたため、巻き添えをくって足止めになり、たまたま旧知だった三鬼のもとへやってきたのだ。
仲間が関係した事件とは「ゾルゲ事件」だ。
三鬼自身、京大俳句事件に連座して京都警察本部によって検挙され、釈放された身となって神戸にふらふらとやって来ていた。
こんな三鬼の戦後は、俳句とともに生きる。晩年、葉山に住んだ。そして昭和37年に62歳で死んだ。そこまで、私はあと三年。
ちなみに、同じ風狂の俳人種田山頭火は享年59。今の私である。私の場合、馬齢59。
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