残る寒さや
久しぶりに寒がもどった。本日の日曜日、国立大学の入学試験が行われている。私らのときは国立一期校は3月3日から5日までだった。この日は、金沢は必ずと言っていいほど雪が降ったものだ。今年は稀な暖冬でいささか季語とは実感がずれてはいるが。
だが、この時期―冬の終り、春のきざしという時期―はいい句が多い。ふさわしい句を句集の中から半日かけて摘んでみた。まず蕪村だ。
隅々に残る寒さやうめの花 蕪村
寒さは冬、うめは春の季語である。まさに本日のような姿を表しているではないか。端境期であることを示している。この時期、春がすぐ側にあるようでなかなか来ないということもある。春が近づきながら突如寒さがぶり返すことも多々ある。
鎌倉を驚かしたる余寒あり 虚子
鎌倉を大磯と置き換えても地理的には問題はないが、風土という点で寺社が多く古都であった鎌倉でなければこの句成立しないだろうと、思ってしまう。
寒さは時には雪に変わることもある。春の雪だ。この雪には遠い昔を思い起こさせるものがある。次の句はあまりに有名だが、私には12月、1月の雪とは思えず、3月近い春の雪を連想するのだ。
降る雪や明治は遠くなりにけり 草田男
しぐれは冬の季語だが、春と冬の間にあたる今日のような日に降る雨をしぐるると呼びたい思いもする。行乞の俳人種田山頭火が冬の終りのしぐれの中を歩く姿が浮かんでくる。
しぐるるやしぐるる山へ歩み入る 山頭火
同じ「しぐるる」も現代の俳人が詠むと悲哀が退いて明るさが生まれる。
しぐるるや駅に西口東口 安住敦
この句は解説によると東急線田園調布駅を指すらしいが、新宿や渋谷のような大きなターミナルでも悪くないと私は思う。
春を告げる花は紅白の梅と並んで、連翹の黄色であろう。
連翹の雨にいちまい戸をあけて 長谷川素逝
一雨ごとに暖かさを増す雨、それが連翹の雨だ。
麗しき春の七曜またはじまる 誓子
春が本格的に訪れれば、心浮き立つものがある。一週と言わず七曜と言えばカラフルな華やかさが表れるから不思議だ。俳句の措辞ということを考えさせられる。
そして春がすっかり定着する時期になれば、春の海は豊かさを増す。海坂(うなさか)とは水平線を言う。それが張り詰める豊かさ――
りんりんと海坂張って春の岬 多佳子
午後、もみじ山の頂から海を眺めた。芽ぐみをはじめた木々の間から青さを増した相模湾が大きくふくらんでいた。
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