友達百人できるかな
イラストレーターの渡辺和博氏が死んだ、56歳だった。3年前に肝臓がんが発見されて入退院を繰り返していたというが、それでも56歳は若い、早い。
この死について嵐山光三郎氏が日経新聞で追悼の文章を発表している。友情溢れる文章だ。友の死は自分の一部の死であって、年をとって友人のほとんどが死ぬと自分も死ぬのだと語って哀切な思いを吐露している。心をうつ。その嵐山の追悼文の中に気になる言葉があった。
《としをとると、もう新しい友人はいらない。それでも40代の頃は100人ぐらいの友がいた。50代になると70人になり、還暦をすぎると50人ぐらいだ。》
わが身を振り返り、友達を数えてみた。とても現在50人はいない。私はまだ還暦になっていないのに。嵐山氏は友達が多いなあ。たしかに現役ばりばりの40代には友達というかいっしょに酒を飲んだり議論をしたりする仲間は100人はいた。だが、定年となって一線から退くと急速に友の数は減った。昼飯だって一人で食うことが多くなった。今の友達を数えると30人余ぐらいだと思う。余と書いたのは私の見栄だ。
いかに、私の交友関係は仕事を通して出来ていたかが分かる。仕事が減れば友も減るのだ。いわゆる部下もいなくなり、いっしょに飲み歩く友も大きく減った。還暦を過ぎても50人の友がいる嵐山氏が羨ましい。
一方、負け惜しみではないが、友達は多くないほうがいいと思っていたりもする。だって、年をとってくるとそれほど大勢と付き合いたいとはだんだん思わなくなる。その友にいちいち気を使うのが煩わしくなる。私の職場の老人たちは昼頃になると、内線電話をかけあって食事の時間を待ち合わせることに必死だ。ほとんど、このことに一日の全エネルギーを使っているのではないかと思われるほど電話をこまめにかけてアポイントをとりまくる。よくまあ、毎日同じ顔ぶれで飽きないものだと思うが、おそらく各自は独りになるのが怖いのだろう。そのことを私は否定しないが、つるんで他人の悪口を語るとなると話は別だ。さっさと老人は職場から去ったほうがいいと、憎まれ口の一つや二つをききたくなる。
子どもが幼稚園の年長になった頃、よく歌っていた歌を思い出す。
♪いちねんせいに なったら いちねんせいに なったら
ともだちひゃくにん できるかな
ひゃくにんで たべたいな ふじさんのうえで おにぎりを
ぱっくん ぱっくん ぱっくんと
小学校にあがれば、ともだちが出来るだろうかと歌った童謡「いちねんせいになったら」だ。作詞者は、あの まど みちおだ。この歌を聴いていた20年前は、友などたいした存在ではないと思っていた・・・・・。だが、訃報が舞い込むたび襲うこの哀しみは何なのだろう。
今朝、出社途中で沈丁花の香りを嗅いだ。今年の春は早そうだ。
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