吉屋信子と俳句
吉屋信子という作家は星菫趣味の少女小説作家という認識しかもっていなかった。
ところが、彼女の一つの句を目にしてその認識を変えた。というか、彼女の句もいいが俳句の好みが私にはよかった。その決め手になった句とは
初暦知らぬ月日は美しく
虚子や汀女にも褒められ自分でも好きだと、吉屋は書いている。ところがこの句を詠んだ直後に母を失い、この句の思い出もつらいものになった。そして、再び詠んだ句。
初暦母の逝く日は知らざりき
気持ちは分るがやや理屈に走っていて、私は好きでない。やはり前の初暦がいい。
吉屋のエッセーには他の俳人の句、特に作家の句をよく紹介している。
大磯に住んでいた高田保が死んだとき、友人でもある久米正雄が詠んだ句。
春の雪人ごとならず消えてゆく
三汀という俳号をもつ久米の句はさすがである。もう一つ。
春の夜の喪服着たまま寝そべりし
何か小津安二郎の世界のようだ。
今やその名が忘れられている俳人富田木歩を、吉屋はゆかりの地を歩いて懇切に紹介している。彼は乳児のときかかった病で歩行が困難であった。就学の機会も奪われ27歳の若さで死んでいる。号の木歩とは彼が使用した松葉杖を意味していると、吉屋は深い共感をこめて記している。その「墨堤に消ゆ」は実に感動的なエッセーだ。吉屋が紹介している富田の句の数々。
遠火事に物売り通ふ静かな
暮れぎはの家並かたむく雪しづく
木犀匂ふ闇に立ちつくすかな
ゆく年やわれにもひとり女弟子
吉屋が好きだという句は――
簀(す)の外路照り白む心太(ところてん)
母を失ったときに吉屋の心をつかんだ石田波郷の句がいい。
春夕べ襖に手をかけ母来給ふ
最後に、吉屋信子の句を2つ記す。
打ち水の町となりけり今年はや
よらでゆく島に手を振る日短か
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